食養調和

ここ数日、発酵を使い料理をしていると様々なことに気づくことがある。

今まで使えないと思っていたものが使えるようになったり、今までアクだと思っていたものが旨みになったり、様々な材料を重ねあわせることで絶妙な甘みが出てきたりと、それは不思議な感覚がある。

もともと私たちが美味しいと思うものは、舌と五感を使って感じているものです。

それぞれに好き嫌いというものがあったとしても、私たちが本当に美味しいと思えるものにはある一定の法則のようなものがあるようにも思います。

それはちょうどバランスが整ったところ、その素材と自分との関係性、全体との調和というようなところにどのように創意工夫して中庸に合わせていくかというものです。

例えば、舌や胃袋、体で味わうものは、それぞれの持ち味を私たちの舌にあわせて引き出します。私たち人間がより食べやすいように取り込みやすいようにと工夫するのです。心で感じるところでは新鮮な旬やいのちをいただくことで私たちはそれを本能で取り入れ、また料理する人や関わる人々の真心や愛情をかけた時間を心で感じているのです。

トータルで考えてみたら、私たちは食物連鎖の中でいのちを成り立たせています。食べる食べられるという関係ではじめて私たちはいのちを繋いでいくことができているのです。当たり前ではありますが、食べるということはそういう自然の当たり前を思い出すことでもあるのです。

身土不二ではないですが、自分の身体がどのように成り立っているのか、自分のいのちがどのような繫がりの中で活かされているのか、目には観えないものを含めて私たちは大いなる循環の中に生きているとも言えるのです。循環から途絶えたところで食べていると、私たちの感覚も鈍ってきてどこに私たちが繋がっているのかが分からなくなったりもしてくるものです。

物が溢れ、繫がりが見えにくい今のような時代にはこのような当たり前の中の本来の自分の姿にあえて気づきを与えるような料理と思想が必要なのかもしれません。

調味料をたくさん加え、美味しく料理するのも必要かもしれませんがもともと私たちの暮らしの中でどのような自然を活かした料理があったか、素材を得て活かしたかというものの一つひとつのプロセスこそが、この当たり前のことに気づかせ、私たちの心身を調和させるものに繋がるのだと思います。

私たちの今の社会は油断をすると、すぐに周りから流入してくる様々な物流にバランスを壊してしまうものです。日々に生きていたら、気づかないところで正しくないことをしてしまって気づいたらまた改善するという日々です。自然を汚すような合成洗剤をはじめ、調味料、食品、その他、様々な人口加工物に溢れてそれが気が付くと身のまわりに迫ってくるからです。

だからこそ、食べるということは全部自分で管理できるものなのだから食べるところから生き方を見直すというのは本当に大切なことだと思います。

私自身、自然食養、自然料理というものも新たに取り入れて学び直していこうと思います。