生命にはお役目というものがある。
これは動植物だけに限らず、虫たちや菌たち、または人間にとっても同じくそのお役目をそれぞれに果たしていこうとする。そしてそのいのちをまた次世代へと手渡し、自分の役目を終えていくのです。
季節が廻り、時代は変わり、すべてのいのちはそれぞれの役目を得ます。
与えられた環境で、生まれてきたその時々で、またそのものらしさのままに、それぞれの役目に生きているのです。人は役目を誰かに与えられていると思いがちですが、実際は役目は自分で果たそうとしているのです。
これはある人たちの人生でもわかりますが、時処位をシェアして生きているのだからそれぞれが主人公としての物語があるのです。
庭の寄せ植えでも、ある植物が伸びすぎるとある植物は抑え込まれてしまいます。そしてその時、伸びすぎた植物が主役の物語と、抑え込まれた植物の物語が同時に存在するのです。
つまりは生きものはすべて自分が主人公であるのです、だから主人公同士の物語を持っているのだから主体か受身かというものは本来はなく、それぞれが主体である者同士で成り立っている世の中であるともいえます。
だからこそ、役割やお役目というものがあるのです。
なんらかのお役目があるのだから、腐らずに一生懸命勤めさせてもらおう、何か意味があるのだから自分の役割を果たしていこうとすることではじめていのちのバトンタッチをしていくことができるのです。
すぐに受身か主体かという議論になりますが、どうも日本人は何でもさせられているや、しないといけないなどと主体で在るはずのものをいちいち受身で理解しようとつとめます。しかしお役目という考え方で観れば、どちらかが強くてなにかをさせられる関係ではなく、それぞれに担う主体としての自分と思えるはずなのです。
世の中はみんなで様々な役目を果たしていきます、決して無駄はないのです。
これからもいのちのバトンを渡していけるように、自分の天命に尽くしていこうと思います。