自然界には様々な法則がある。
例えば、ある一定の種が増えすぎればそこに必ず天敵というようなものが現れて数が減少するというものもある。一つだけの種が大量に増えようとするとそれを抑制しようとするような法則である。
これは動植物に限らず菌の世界に至るまで、次々にそういうことは起こってくる。
人間でいえば、病気というものも不自然から生まれてくるものだし様々な災害もこの法則に添って起きてくるものです。
もともと一つの種だけである一定の場所に増えすぎるというのは、それだけで様々な弊害が生まれてくるのです。野生や自然の中では、多種多様な種が御互いに活かし合えるように食物連鎖の中で成り立っています。
そこでは強くなければ生きてはいけず、受け容れることができなければ成長できません。
自然界では、様々な種のものと渾然一体に存在しているのです。この様々な種が「渾然一体」というものも大切な自然の法則であろうと私は思います。
自然農に取り組む中で、最初は雑草とともに育てることで稲自身を強くさせるものだと思っていましたが最近ではそうではなくこれはもともと稲がそうだったと、いや自然がそうなのだというように思えるのです。
画一化されたものの中で一つの種だけで存在しようとするのは、もっとも自然の法則から外れてしまうのです。子ども達の置かれた環境も、また今の経済社会の在り方も、行政の管理方法もすべて自然の法則から外れていると言えるのです。
自然は絶妙なバランスでお互いを活かし合うものだから循環し持続するのです。
これを意図的に破壊すれば、人間がずっと色々と手を入れなければならなくなります。
それが人工的であるということ、つまりはお金を生み出しているもとになっているのです。
このやり方は、意図的に持続しない方向へと進めそのことを解決するために資金を投下し続けていく方法で、わざと問題を作り出しては仕事を増やしていくというもののために人間の智慧を使っていくのです。先日の原発もそうですが、わざと原発を作りそこに補助金をつけ雇用を創出し生きていけないようにし、それ自体を正当化しさらに資金と投下していくというような方法でやってきたから様々な問題が起きお金もかかり続けるのです。
昔から悪智慧が働くということは人間にはあるものですが、そういうものにも気づかないで知らないふりして暮らし続けていくというのも悲しいものです。自分自身から真実や本質に気づくため、自然の法則を学び直し、自然に照らして自分たちがどう生きるのか、どう働くのかは決められるはずなのですから。
世の中に自然の法則がある以上、どこに合わせていくかどうかを決めるのも自分です。決して今の社会を否定しているのではなく、これを転じてどのような素晴らしい社会にしていくかが私たちの今の責任と人の道であるのです。
子ども達に少しでも多くの自然の法則を伝えられるような創意工夫を実践していこうと思います。