何かを取り組むのに基本姿勢というものがある。
中学の頃、バレーボールなどでもそうだけれど最初はほとんどボールを持たせてもらえず只管に走り込みや筋力トレーニングを行う日々が一年近く続く、そしてはじめてボールを持たせてもらってもその後の一年はほとんど基本中のパスやトス、サーブを徹底して練習し、持ち前の基本の実力だけで最初の公式試合を迎えるという感じだった。その後は、試合の中で自分たちの強みを見つけては技術や技能といったスキルを向上させるという順番だった。
何でもそうだけれど、自分の基礎力や基本の体力がどこまであるのかはとても重要なことです。もしもこれが最初に誰かの受け売りのテクニックを覚えてそれですぐに試合に出て運よく勝ってしまったりもするのです。
そうなると次第に難易度が上がっていくたびに次第に勝負に負けるようになり、その時の負ける理由は全部自分のスキル不足のせいなのだとその人が勘違いしてしまうことがもっとも大きな問題なのです。
スキルというものは、実は結果論として後で勝手に身に着くだけでその大前提としてのまず基本や基礎があっての話であるのです。
私の言う基本や基礎というのは、「努力の心」というものなのです。
先ほどのスポーツでもそうですが、基本はすべて「諦めない」「粘り強く」「妥協しない」「遣り抜く」「真剣に打ち込む」などの自分の姿勢、取り組む時の自分の真摯なハートを身に着けることをいうのです。
スキル云々やテクニックや技術がどうこう言う前に、まずそこがどうなっているかなのです。
何かに取り組むときは、まず努力です。
そしてその努力の質量が結果を生むのです。
一般的に若い時に、本気で努力して精進し仕事をしてきた人はこの真摯に直向に取り組む姿勢ができています。するとその人はどんな困難があっても、その時の努力の厚みや広さ深さの幅の御蔭でその困難を乗り越えます。
逆に、そういう努力を体験していない人はその努力の厚みが薄く浅く、その範囲内を超えればすぐに妥協を繰り返すようになり負け癖がついてしまってなぜか何をしても躓いてしまうようになっていくのです。
そう考えると、自分が煮詰まったときは仕事を学び直すときであり、それは必ず一度は真剣に仕事を始めて努力するぞと決めた時の頃の初心に帰って何よりも向上心を持って我武者羅に一心不乱に打ち込むということが何よりも大切なのです。
それは営業では、必死に飛び込みをしながら自分の何が足りないのかを見つめて知識を蓄え、何度も鏡を見ながら自分を正し、大きなプレッシャーや使命感の中で、本懐を遂げ、お客様のために真摯に取り組んでいくという、言い換えれば「汗と涙の結晶」といった根気強くても地味に努力精進するといった基本姿勢から出直すのです。
これは営業を例えただけですが、どの仕事でも同じくまず基本というのは向上心を持ってまだまだだと根気を据えてそのモノゴトと一体になるほどに打ち込む姿勢のことをいいます。
今はすぐに頭でっかちにスキルを追おうとする人もいますが、人間は誰しも平等でそんなに天才や完璧な人などもそうはいませんし、すべては努力の上に花が咲くのです。
そういう必死に努力していく体験は、その後の人生を大きく支えてくれるものです。
なぜできないのと嘆くのではなく、もう一度ゼロからやり直そう、この本意は努力の心という基本姿勢からとやっていくといいと思います。
そうすればいつかスキルは必ず活かせるレベルに達すると思います。