置換力

全ての出来事を考えた時、それが自分にとって必然かどうかと思うというものがある。

例えば、他人に起きている問題は他人のことだと思い込んでいる姿勢の人と、他人に起きている問題は自分のことだと思って真摯に受け取るという姿勢の人がいる。

前者は、他人のことなのだからどこか相手のことにしているから相手の問題としてしか考えられずつい出来事なども頭で処理をし目で追ってしまい本質が分からないままに悩んでいたりするものです。しかし後者は、どんな相手の出来事もこれは自分のことではないかと置き換えるから文字通り他人事ではないことだとより自省しつつ真剣に何かのメッセージがあるのではないかと一緒に物事の意味を考えることができるのです。

人の一生は自分と関係のある情報を取捨選択して生きているとも言えます。

この情報を選ぶのも、テレビやニュース、出会った人々、それがどんなに自分が偶然に覚えたことでも実はそれは自分の人生に大変な意味が在ったりするのです。自分のセンスや直観が冴えわたっていれば、すぐにそれが自分の問題を解決するものであることやこの先の将来に関係することであることにハッと気づくことができます。言い換えれば、相手は自分の鏡、向こうからいただける情報はすべて自分へのメッセージであると感じる力があるかどうかということなのです。

そのアンテナでどのように自分への意味を受信して今の瞬間瞬間の決断をし続けるかことが置換力とも言えるのです。

人は意味のない人生など一つもありません。

それはその人が目指しているもの、生まれてきた達したいこと、いのちを活かしたい何かが必ずあり、そしてその役目役割が必然的に存在するからです。人の一生はそれを探しているうちに終えるともいえます。

生きていればどんな情報もそれが自分の役割に繋がっていると思えば、どんなものも必然として一つ一つを自分のことだとするのか、関係がないとして自分以外の誰かのものとするのかでは今までと今、そしてこれからの生き方が変わってしまいます。

共感することも、自他を信じ、活かすことも、これは自分のことだと思えるか。そういう懐や器を養成していくことも、学問の醍醐味であろうと思います。

どんな小さなことも見逃さないよう、日々を振り返り様々な出来事を置き換えていこうと思います。将来の子ども達のためにも、今の自分の身の周りのことに置き換えてひとつひとつ丹誠を籠めて解決していこうと思います。