二宮尊徳の教えの中に「入るのは出たものが返るということ、来るのは譲ったものが入ることである。」がある。
これは天地自然の道理であり、当たり前のことですがこれがおかしくなってくるから色々な間違いが発生してくるともいえます。
会社では、合成洗剤を使わず分解されるものを自然分解できる用い、発酵食品を食べ発酵しやすいものを取り入れ、また生活微生物を培養し共に暮らす中でそれをお風呂やトイレ、その他の場所で活かすことでより川に流すものに気を付けることにしています。
これも出すものが返るの道理に沿ったもので、子どものために何ができるかを考え抜いた会社の理念の実践の一つです。
人は自分が出すものに対してはあまり気にしていないものです、それは行動や言葉でもそうだし排泄するものやゴミなどもそう、すべては自分が出したものが廻り巡って自分へと戻ってくるのだからその人が何を出すか、何を出さないかは何よりも大切なことなのです。
モノを大切にする人のところに善いモノが集まってくるのも同じ道理で、その人のいのちを重んじる実践がその人へ戻ってきているとも言えるのです。善い出会いをする人は、善い出会いが戻ってきます、いつも一期一会に出会う人には一期一会が帰って来きているのです。
そしてもう一つの譲るというものですが、自分のものにせずにそれを多くの人たちに譲る事こそがまた来るということも道理なのです。私たちはどんなに微細なものから天命に至るまで、すべては何かから譲られて今があるのです。すべては借り物の今とも言え、全部自分が持っているものは何かによって譲られているからこそ持っていることができるのです。
そういう譲られているものを自分のものだけにせずに如何に多くの人たちに役立てて譲り渡していくかで、今自分のところに来ているものが何かを知るのだと私は思います。譲ってもいないものが来ることはありません、それは譲った人が譲っていないからかもしれませんがそれは時間軸の問題があるだけで他の人から帰って来るものだから必ず来るのです。
呼吸のように息を吐けば息が戻って来るように、必ず出ると入るは、譲ると来るはセットなのです。
だからこそ入る方ばかりに気をとられて肝心な出す方に力を入れないというのは、そもそも天地の道理に沿わないともいえるのだから如何なるものを自分が出しているか、どのようなものを譲っているかを大切にしていくことが重要だと私は思います。
子ども達のことも同じです。
自分たちが出したものが子ども達に帰って来るのです。自分たちが譲ったものが子ども達に戻って来るのです。自分の出すものや、自分から譲るものにどのような責任を持つか、それが大人の役割だと私は思っています。
理念を扱うのも、実践を重んじるのも、全てはこういう誠の心からの発心なのです。
子ども達のためにも、どのようなものを出すか譲るかを常に自戒していきたいと思います。