いのちの距離感

自立には距離感というものがある。

その人が自由に物事を解決するようになるには、ある一定の距離感がいるのです。

例えば、人は自我があれば自分の方へと引き寄せようとしたり相手をつけ放そうとしたりと両極端です。それぞれの自我が惹きあうと、御互いを尊重するのではなく共依存といった関係を生み出してしまいます。

そもそも太陽や月、水や土もそうですがすべては一定の距離感の中で調和します。
すべてのいのちは、そういう偉大な恩恵の元、自力、いわば「精魂」を出して生きています。

それを何か誰かが意図する人工的なものを使って無理やりに伸ばそうとしたり、そのものの自力を使わないでとなれば、そのものの生命力はあっという間に弱体化し何でも他人に頼らなければ生きてはいけないようになってしまうのです。

生命というものは、精魂を出すことではたらくことができそのことで周囲と調和します。
つまり自力で生きるものだけが、他を活かし、そして他力の恩恵を享受できるのです。

つまりは本来の自立とは、まず大前提として全部自分でやるのだという精を出し切る、遣り切る、生き切る、己が主人公であるという覚悟があっての話であるのです。その覚悟が恩の世界を開くことに繋がり、そこからはじめて自分が偉大な恩徳に包まれている絶対的な安心の境地を自覚し、周囲との最善で最幸の調和の距離感を創造していくことができるのだと思います。

そしてそのいのちの安心感ともいうべき信が自立というものです。

人間は誰かがその人のことを丸ごと信じる事が出来れば、その人は自分のことを信じる事ができるようになります。もしもその人を信じなければ、あれこれと自立を阻害し成長を止めてしまうこともあるのです。

いのちというものは、すべてにおいて自分から生きようとするときに輝くものです。
何でも与えてもらっていたら自分で手に入れようとは思わなくなります。
そして本当のことや、大切なことはすべて自分でしか手に入れることはできないのです。

距離感というものは如何に自他を信じるか、そして丸ごと尊重するかの境地です。

毎回、緊張感がある仕事ばかりですが自立する姿を観ると感動ばかりの日々です。

いのちの距離感をさらに深めていきたいと思います。