先日、新商品の開発を兼ねて伊賀にて松尾芭蕉の生誕の地を訪問する機会があった。
以前、不易と流行のことで一度関心を持ったことがあったけれど改めて学び直すことができた。もともと人の世に身を置き人との絆や人とのご縁を感じていると、常と常ではないものを感じる機会が多くなるものです。
如何に温故知新し、真実を探求しようとするならば一つのところに留まれず常に自らを刷新し続ける必要があるともいえます。これは、私たちが変化の創造物であるからして常に周りと共に変わり続けていくからでもあるのです。
特に、世の中に新しい風を吹かせようとすれば必ず元となっているその真実を確立しなければなりません。芭蕉にも「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」とあるように、何を根源や根本にしているかができていなければ、そこから新しい発見も発明も起きないとも言えるのです。
今、新商品開発をしていますが常に不易と流行を往来し続けひとつひとつ編み出すのです。
世の中にあわせて世の中が求めそうなものを造りだして発信することは私の仕事ではありません。それはどこかよその人たちがすでにやっていますし、色々な人たちがいるのだからそれでいいのだとも思います。
しかし未来や子どもを思えば世の中に必要なものを確立しなければならず、それは無用の用ともいうべき絶対的になくてはならないものである必要があるのです。だから私はそれに自然を用いるのです。
そして、流行というものはそれを今の人たちが取り込めるように溶け込めるようにと変換置換し続けないと意味をなさないからこそそれを可視化して練り上げていく必要があるのです。
新しいものを創るということは、根源的なことを学ぶということです。
根源的なものを学ぶということは、新しいものとの出会うということなのです。
つまりは不易と流行は、自分自身を真摯に生きることで出逢う一期一会の産物とも言えるのです。常に、日々は変わり続け、この今も変わり続けることなのだから悟ることに意味はなく、常に自らの魂を磨き続ける日々と気づきを集積していく日々こそがいのちの本源なのだろうとも感じます。
もうすぐ、新商品が世にお目見えしますが精魂籠めて開発していきます。