暗黙知

人は頭で考える世界だけに住んでいるのではなく、感覚で獲得する世界にも住んでいる。

最近は複雑系の研究も進み、何かのことは全体や総合で捉えていくことで理解するということを分析されるようになってきた。簡単に1+1は2という答えではないということは明白で、それはそこには複雑怪奇に絡み合っている偉大なる他力が存在していることを理解するからです。

何かの出来事も、自分の周囲に起きることもすべて単純ではなくそれは計り知れない調和の中に在り、立体になったものがバランスよく混じりあって存在しているかのようです。

自分だけの主観で一方的に見てしまうのが脳だとして、それに対して主客一体となった全体調和の中で観得るのは全方向を捉えてくるのです。

なぜと考えるのも、途中からなぜと見つめるのと、湧き上がってくる根本からのなぜではその広さも深さも真実も変わってくるからです。つい頭で考えてしまうのは、感情なども邪魔をして自分都合で判断するのでしょうが自明ではないのだから意味の後付になるのでしょう。

そもそも暗黙知や形式知というものがあります。

形式知にすればするほどに、総合的な話は枝葉末節になってしまいます。
しかし暗黙知であれば、直観的に大極を伝えていくことができます。

その技術も多種多様で、昔は師弟一体、同時一体に行う方法から、手順や作法、基本を充実させることを伝えたものもあったのであろうと私は思います。大事なことはすべて肉眼では見えないのだからこそ、そういう境地で共有することで伝えてきたのだと思います。

今は科学技術も発展し、目には見えないものを観得るようになってはきました。
しかし大切なことはまだ目の届かないところにあるのです。

それは元々、追えないような場所にこそ真実があることが証明されているともいえます。
偉大な科学者がいくら真理を発見しても、それは全体の一部の可視化に他なりません。

可視化するということは、何を世に出すかということで何を世に見せるかなのです。
子どもたちのために正しく伝承していけるように心を念じていきたいと思います。