自分が好きなことをやるや夢を叶えるというものに、周囲の理解というものがある。
如何にそれが世の中に貢献するものだと分かっていても、身近な人達から協力の理解を得られなければ実現することはないのです。
特に人は余裕がない時、あまり他人のことを思いやることがなくなってきます。やって当たり前ということになり、やらないのは力不足と判断されその人自身の環境や状況を理解しようとするのではなく一般論や自分の思い込みで相手に接してしまうことで不和が発生するのです。
御互いに配慮して気遣うというのは、御互いに大変な中で取り組んでいるのだということを前提に相手の立場でものごとを考えることができるか、つまりはどれだけ共感できているかとも言えるのです。
以前ブログでも書いたと思いますが、自分が忙しい人は周囲が楽をしているように感じているし、自分がゆとりがある人は周囲はとても忙しそうだと感じているのです。つまりはこれは常に自分の心の状態で周囲の理解を変えているともいえるのです。
自分が忙しくならないような工夫も、相手をいつも思いやれるという心の優しさや強さも、もっとも身近にいる理解者たちの協力があってこそ維持できるともいえるのです。
人は存在やその人の全てを丸ごと認めてくれる人がいることで、はじめて自分らしくいることに自信を持つことができるようになります。それは何かの状態や状況とは関係なく、その人の人格を認める周囲があってこそ成り立っているとも言えるのです。
自分らしく生きるという言葉は、あれは自分だけが自分らしくという意味ではありません。
自分らしく生きるとは、自分らしくいさせてくれる周囲との関係があってこその言葉です。
自分らしくさせていただける、自分らしくいてもいいと認めて下さっている、そう考えれば「自分らしさの傍には必ず理解者あり」という意味なのです。本来の自分でいるためにもいつも周囲に心を開いて自らがオープンに信頼する絆や縁を紡いでこその「自分らしさ」ではないでしょうか。
そこには常に「思いやる」という配慮が必要で、それが私が目指す「強く優しい人」なのです。
しっかりとビジョンに近づけるよう、実践を深めていこうと思います。