同化し和合する

同化というものがある。

様々なものに自分を合わせて一体になるという意味でとってもいい。

この同化というものは、相手と自分を分けない、何かと分けて考えない、つまりは最初から渾然一体として分かれていないと思うことを同化といってもいい。

私たち人間もそもそもは、宇宙全体の一部でありはじめから分かれた存在ではない。脳が、言葉で知識として対象物を認識し記録するためにいちいち何かを名づけたり、または自分を成り立たせるために役割を分けて思い込んだりとしいちいち分けているのだと思います。

何かをするのに、いちいち理由がいるのもそのためで大きくは生活の食べるや寝るというところから小さくは職種や業務の内容まで頭で理解して進めようとしてしまっているという不自然な矛盾が発生するのです。

そもそも私たちはすべての生命と同じく、全ての物質と同じく、全体の偉大な調和との同化の中で存在しているのは誰にも明白です。同じ水や光、空気や場やあらゆるものを共有して成り立たせているのが存在そのものであり、この繋がりの関係の中でただ在るというものであるとも言うのです。

ミミズであろうが、魚であろうが鳥であろうが、分けるまえの私たちは全ては一体で捉えていたはずでそういうものの中にいることが当たり前の自然であれば同化とも言うのです。

この同化ができたとき私たちは偉大な調和を生み出すこともでき、それが一体感を持った最幸の自然の状態、渾然一体とした柔軟性のあるチーム力を引き出すとも言えるのです。

例えば、私が発酵が今年のテーマにしているのは、共生が大震災後の最大のテーマであると直観したからです。この発酵とは何かと言えばいのちのバトンリレー、つまりは共生を生み出す自然の技術のことを言います。

その発酵の主役でもある菌たちは素晴らしい自然の先生と自然の教材であり、この発酵するということ学ぶことを通して私たちは同化や和合そのものの本質を学ぶことができるのです。なぜなら発酵は色々な無数の菌たちが如何に協力して共生の関係を構築してはじめてできる境地です。

共生を学ぶのに頭では理解しない、自然に体得しようとするからこそ発酵を食べるのです。

発酵の真の素晴らしさとは自分の役割を自他が分けたのではなく、自他同化し一緒に取り組んでいく中で自然に発酵することです。

この分けないで一緒にやることや、みんなで一体になって自分の役割を果たすことは、共に生き続けるということの大切な要素を帯びているのです。様々なものに自分を合わせることや、自分から共生に合わせていくこと、和合するということは、これは日本人が最も世界で評価される尊敬されている民族性の源です。

これは自然の生き方、かんながらの道の一つの極意であると確信しています。

これからも同化し和合する素晴らしさに感動する感性を磨き、目には見えないはたらき、自然のはたらきを学び、子ども達へ継承していきたいと思います。