歩む

本人が本当に幸せかどうかという基準がある。

誰かが決めた人生や、誰かから期待されるような自分では本心の底から幸せを実感することはできません。

今の自分が本当に幸せかどうかは、自分で決めた自分の人生を生き切る時にこそ感じることができるのです。人は皆の幸せを望むことで、沢山の人達からリーダーだと認めてもらえるようになるものです。しかしそれは、自分がそうしたいからやるのか無理をしてやるのかでは同じやっているのでも意味は異なります。

自分自身がこうあらなければというものは、自分の感情や自分の本心からやろうとするのでは楽しみも歓びも異なってくるのです。これで幸せなはずだと言い聞かせるようになっているのならそれが自分を我慢しているという証拠であるのです。

いくら周りから見て幸せそうに見えたとしても、幸せは本人が決めるものです。

満足する生き方をするというのは、自分で決めたことを遣り切るときにこそ実感できるものです。それをどこか誰かのせいや何かのせいにするのは、どこか素直ではない心が出ているからだともいえます。

人は素直になれば、全ての問題は自分にあると気づき謙虚に見つめていくことができます。
そうではなくどこか素直になれないとやはり問題を転嫁して気づくこともなくなるのです。

自然美というものがあります。

それは自然の中で自然に生きるものが美しいと感じるようなものです。
あの草花もそして木々も、様々な虫たちも一生懸命だから美しいのです。

自分を生きることを我慢しているものはどこか元気がないので美しく感じません。
生長するというのは、常に自分の全身全霊を発揮することです。

そしてそうして新しい一歩を歩むと決めて歩む時、幸せを感じることができるのです。

最後に水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」の歌詞を思い出しました。

「しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ 汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー ワン・ツー ワン・ツー」

同じ気持ちで変化を怖がる人たちへ応援メッセージを発信していきたいと思います。