時間の使い方というものがある。
同じように過ごす中でも、時間をどのように活かしているかで人生は決まるとも言っていい。
どんなにつまらないような日々であれ、その人の気づく量によっては最幸の時間になる。
つまりは時間というものの中に、その人の生き方や生きざまが見え隠れしているのです。
時間が一般的にすぐに過ぎてしまう人は、人生の結果に対する執着が少ないとも言えます。
ただやることに意味があるわけではなく、それがどんな結果かを味わうことが大事なのです。
体験したことが何だったかを知ることは、自分がどのように生きているかを味わえるからです。
そしてそういった好奇心というものは、人生の行為そのものにあるのではなく人生の目標に対するものだからです。
どのような結果になるだろうとワクワクドキドキするのは本来から自生している好奇心とも言えるのです。それなのに結果かを目指さずにワクワクしようとしてもそれでは真の今を実感できなくなるので舌先で味わうだけになってしまいます。
もちろんそれも生き方なのですが、楽しいにもアドレナリンが出るような楽しみと、心が豊かに幸せを味わっているときの楽しみと異なるように常にどこで味わうかはその人の楽しみ方とも言えるのです。
時間の使い方も同じく、その使い方は他人によって異なるのだとも思います。一つひとつのことを味わい尽くすためには、一つひとつの全てに結果を求めていく必要があると私は思います。
よく私は一石二鳥や造語で一石五鳥などと自分はよくいいながら実践しますが、これは一つの時間を沢山の結果を出せるように使おうとするからです。例えば、それが自分だけではなく、友人のため、家族のため、仲間のため、お客様のため、社会のため、世界のため、未来のため、子どものためと、数えられるだけの全ての人達に善いかどうかを悩みきって行動するからそうなっていくのです。
それは別に皆が単に善くなればいいと思っているのではなく、そのどれも結果を出そうとしているからとも言え、その結果に対する諦めの悪さではないかとも自己分析しています。
自分の人生を体験し尽くしたい、自分が納得のいくようにしたいと思えば思うほどに日々に気づきたいと思うからではないでしょうか。
時間をどう使うのかは自由ですが、やはり最善の結果を求めて道を歩んでいくのが素晴らしい人生ではないでしょうか。
意味は後でついてくるのだからまずは結果を求めて体験を優先することだと私は思います。
時間は有限、しかし求めれば時間は無限であるようにも思います。
日々を充実して豊かに生きていく実践を通じて子どもたちを見守りたいと思います。