京都農園では、稲が活着して元気よく生育しているのを観ることできた。
ここの農園は、虫が大量にいて私が歩けば一緒に大量の虫が移動するというように虫たちの楽園になっています。野鳥が大量に飛んでくると言っていましたがそれも頷けるような鳥たちの楽園でもあるのです。
そう考えてみると、楽園とは生物が多様化し沢山の生きものたちが生活する場所こそ、たくさんの生態系が存在しそこに私たちは楽園のような生き物の活気を見出してしまうのでしょう。
生まれてきてから生き物がたくさんいるところが豊かに観えるのは、そこに多くの営みがあることを実感し、そこで発生する代謝物こそが私たちのいのちを育んでくれていることを知っているかのように感じます。
ここの農園の素晴らしいのは、まさにこの生物多様性のように実感しました。
稲は他の水草に負けじと必死に成長しています。
その水草が生えすぎないようにと手作業で愛を籠めて取り組む姿勢には感じるものがあります。まさに人道というものは、こういうもので自然そのままにしておけば手がつけられなくなるものを私たちの真心で育てたいと思うものを見守り、小まめに手入れをしていくこと。
この実践こそが、共に育ち合うことではないでしょうか。
その期待に応えて、様々な環境を活かして生きようとしていくのもまたいのちです。信じるということは、世間一般で良かれと思われているように簡単便利に一気にやることのようにはいきませんが、信じて待つことで善かった善かったと安堵し喜べる機会に多く恵まれます。 そうして感謝というものを天と人との間で一体に感じるときに、私たちは生きていることの真の楽しみに出会うのでしょう。
この真の楽しみに出会うことこそ、人界のみに許された楽園なのだと私は思います。
まだまだ学びを深さに換えて味わっていきたいと思います。