人が正直になれない理由としてプライドというものがある。
自分の中で自分というものを偽り、本来の自分のままであることを自分が防げば防ぐほどにプライドというものが出来上がってくる。
ありのままの自分との付き合いを誤魔化し、如何に自分というものをつくってきたか、つまりは今までどう生きてきたかというものが自分の言動を通して現れているともいいます。
自分がどのような人か、そういうものをそのまま出してもいいというのは自分から自らを認め、そして自らの周囲を認めていなければそういうことはできません。こう見られたいと思ったり、こう見られているはずだという歪んだままの自分像を持っていたら人と正直に語り合うこともできないのです。
素直な人は、別に人からどう思われようがあまり気にせずに自分のままでいることができます。それは自分自身が好きであるままでいられるような生き方、つまりは本心で生きているともいえるからです。
その本心で生きるというのは、偽らないままの自分でいるということでもあるのです。
感情を隠したり、見栄をはったり、取り繕ったりするのはまだ自信がないからです。
そして自信は自分を偽っているから身に着かないのです。
自信を持ちたいのであれば、さらけ出したりオープンにいることが一番です。
それでも好きでいてくれる周りがいて、それでも好きなままでいる自分がいる。
そういうものが自信というものかもしれません。
子どもたちが子どもたちのままでいられて、それでいて自信が持てる世界。
自然体を学ぶためには、もっと自分に正直がどのようなことであるかを実践していかなければなりません、バランスに気づき実践を通じて刷り込みを取り除いていきたいと思います。