自立の刷り込み

自立の刷り込みというものがある。

学校で教えられ、一般的に世間で使われる自立に、「一人でできるようになること」というものがある。しかしこの一人でできるようになることは、やってみると分かるけれど本当の自立ではないことにすぐに気づけます。

自分自身の体験ですが、自分で何でもできるようになると人に頼むことができなくなります。できないことをなくせばできるようになるという発想は、もともと一人でできるようになることを目標にしているのです。

学校の勉強でもそうでしたが、できないところをなくそうと努力しますがそうしているうちに完璧であることが最も自立していることだと勘違いすることもあるのです。自分の得意なところよりも、苦手なところにフォーカスして教え込まれていくと、出来る人になることや自立している人になるというのはそういった何でも自分一人で解決することができる人を目指してしまうのです。

しかし実社会に出てみてすぐに気づくのですが、何でも自分ひとりでできるようになってみて分かったのは孤立と孤独です。それに自分ひとりでできることをみんながやっているのは決してチームにならないし、どのように協力すればいいのかも分からなくなるのです。

例えば、平均的に実力がある人たちが増えていけば何かを頼もうとすると皆だいたいそれができるのだから頼む人は自分がサボっているのではないかという強迫観念にかられたりもします。もしくは、自分が一番できることを他のできない人に頼もうとは思いません、もしも全部が平均的に高度にできるようになったなら頼む人がいなくなっていくとも言えるのです。

本来の自立とは、自分の本来できること、自分しかできないこと、言い換えれば自分の得意や好きなことで他人のお役に立てるようになることが本質的な自立だと私は思うのです。

もっとシンプルに言えば、自分らしくいてそれでみんなが喜んでくれることが自立です。
自然体にしているのにそれが皆の役に立てることは自他を活き活きさせていく共生の理です。

自立というものの考えを何でもできる人や、完全に自分だけでできる人と思い違えないようにしないといけません。その刷り込みこそが、多くの周囲を迷わせ、苦しませ、人間社会が画一的になってしまう原因であるからです。

常に自立の本質を捉えるためにも、自分が最も得意なことや好きなことに素直に取り組める実践、つまりは共生していけるような生き方を選んでいくことが子どもの未来環境を見守ることにつながるのです。

もともと刷り込まれているまま努力するのではなく、一度その刷り込みに気づいてそこから自分を刷新していけるような日々の気づきを大切にしていきたいと思います。