今昔の暮らしから

昨日は、美山にて茅葺の古民家などを見学する機会があった。

そんなに昔ではない過去に、人々がどのような営みをしてきたのかを知る機会は今の私たちが何が変わって何が共通していることかを知る旅ができます。

昔の農機具や、昔の造りの家、昔ながらの調度品から出来事、子守唄までその地域特有の暮らしを観察することができます。

例えば、家の中には牛小屋がありその牛小屋も家と一体になっているように配置されています。それだけ牛も生活の中に同化していたのだろうと感じます。その他には、縁側に鶏や家の中には燕、それに様々な虫や土着菌などを上手に活かして共に生活している様子を伺えます。

昔は、身近な生きものたちとの共生を優先して私たちは謙虚に人間だけで自然を独占することを善としない生き方があったように思います。西洋から富の独占が入ってきて優先するものを変えてから一部の人達はとても豊かになりましたがその結果として多くの生きものたちの棲家が失われてきたとも言えるのです。

つまり変化を感じるのは、今と昔で豊かさの定義が変わってしまったことのように思います。

しかし共通しているものもまたあるのは、その時代その時代に合わせてより新しくしていこうとする取り組みであろうとも思います。今のような時代は先人たちの智慧や、過去の職人たちの技術は身近に手に入らないほどの価値があります。

どんなものにもメリットとデメリットがあるように、今の時代の最先端だけでは補えないデメリットというものが発生しているのです。

例えば、どんなに裕福になり沢山のものが食べられるからと健康が手に入るわけではありません。その場合は、昔に倣い旬のものを素食で身近で循環できるものを優先した手間暇の手作り発酵食の方が善かったりとします。

これも同じく矛盾で、高級な健康食を求めるよりも太古から続いている私たちの風土に合った調和食とも言うべきものの方が心身を健やかにできるのです。

昔の暮らしには、私たちが気づくこともできなくなった当たり前が沢山存在します。
その宝をしっかりと引継ぎ、次世代へと今に変換し譲っていきたいと思います。