自立=共生

この世の中は、共生の原理があり成り立っているともいえます。どんな生き物も、もしも自分の力だけを頼りに生きていこうとすると、すぐに共生から外れ独善的に陥り天敵が顕われ破滅へと向かうものだからです。

このようになるのは、幼い頃から何らかの理不尽な権力に従ってきたり、学校をはじめ大人たちの権力などを見ては自分の力が必要なのだと刷り込まれてきたからともいえます。また、もともと歴史を観ていても徳のある政治を行う人は、常に謙虚に衆智を集めて平安の世を築いていきますが時の権力者は自らの力に驕り不遜になり乱世を呼び込み身の破滅を招いていくものです。そしてこれは、生き方次第では個々単体でも同じようなことが起きるのですが今の時代はそのように歪んだ自立を目指すことで生き難く感じている人たちが増えています。

しかしなぜこのようになるのかには、やはり刷り込まれたものがあるように思うのです。

時代時代にその形は変えていくのだと思いますが、力関係というものはどんな仕事であってもどんな人間関係であっても生じています。例えば行政から補助金であれ、大企業からの発注であれ、会社からの給与であれ、上から下へと降りてくるようなものはそこに力関係が生まれるのです。

お金という力を持つことで対等ではなく、お金の力で権力を持っているかのようになるのです。

高いお金を出せば、それだけ高いお金を持っているかのように接され、お金がなければそれ相応に接される、サービスというものもそうですが世の中はお金を基準に力関係が確実に存在しているのです。まるでお金があれば、自分一人でも生きていける、お金がなければ誰とも生きてはいけないのかとさえ勘違いするような社会を構成してしまっているのも事実です。

しかし、子どもを観ていると本来は人と人との関わりとは思いやりで成り立つのが本筋でお互いを尊重して共に生きていこうとしていることは感じます。役割がどうであれば権力で抑えつけるというのは親子でも兄弟でもその関係は破たんしてしまうのを生まれる前から知っているからです。

お互いがどんな気持ちで取り組んでいるのか、働いているのか、共に生きていくというのは相手の心や相手の気持ちをよく汲みとって通じ合うことで成り立つようにも思います。気持ちの通じ合いには、立場や権力を超えたものが存在していなければそうはなりません。

本音や本心で語り合うことは、周囲を信頼しようとする自らが共に生きようとする実践であり、その姿勢が謙虚さを生じ、衆智を集めることになるようにも思います。素直さというものは、自分ひとりの力を拠り所にするのではなく、御互いの立場や肩書など表面上の関わりを捨ててまず自分らしくいてもいい、自分らしくいることは認められていいのだと感じることからがはじまりなのでしょう。

社会で自立して生きていくためにやってきた大人の刷り込みは、つい自分を信じるために早く一人前になろうとしましたが、本来は周囲を信じる事、周りの仲間を愛すること、関わる人たちを尊重することを大事にしていくことが何よりも刷り込みを取り除く方法のように感じます。

私もかつてもっと力があればと自分を責めて、自分の力不足でと傷ついた自分をより一層傷つけて力を得てきた過去があります。それが刷り込みになり、当たり前の関係を築くことを恐れさせるようになったようにも感じます。

同じように一人で踏ん張っている立場の人たちが多い世の中のようにも思うのです。そうしているのは自分に自信がないからです、そしてこの頑張りこそが自信を喪失させているともいえるのです。

自立は、自分ができることよりも周囲を信頼することで自立、つまり=共生となります。真実は共生してはじめて自立であるのだとし、改めてこの権力を優先する今の人間社会の強烈な刷り込みから子どもたちを守るためにも自信を皆が持てるよう自分らしい日々に挑んでいきたいと思います。