天の心を学ぶ時機

もともとの自然は待つことを知っている。

花を咲かせては虫たちが来ることを待っている。
呼吸をしては、生きることを知っている。
日に太陽が顕われ、日に月が顕われるのを待っている。
日照りの後は雨が降り、暑くもなれば寒くもなるものを知っている。

あるがままのことを知りあるがままに待つということは信じるということ。

まるで何を知るのかと問われれば、自然に知るのだと言い。
まるで何を待つのかと問われれば、自然に待つのだと言う。

自分以外のものの偉大な働きによって生きているということ。
知らない自分と待たない自分がいつも不自然に連れ出しているのです。

自然と共に生きていくということは、自然と一緒でいるということ。
それは自然の心でいるということでもあろうと思います。

人は情動でバランスを崩し、すぐに魂の故郷を忘れますが日々の暮らしと一体になるとき、
空の雲の流れるのを眺め、水の清くせせらぐのを聴き、風が透き通っていくのを感じ、光がキラキラと眩いばかりに広がって染みていくのを観ていれば自然を知り待つ心と出会います。

嗚呼、不思議で霊妙な自然というものの暮らしに包まれている私のかんながらの道。

新しい季節の音が遠く彼方から聴こえはじめてきています。
今は天の心を学ぶ時機、日々の御慈愛と真心、誠に有難うございます。