子どもを先生に

昨日、GTサミットの中で藤森代表から「私たちは子どもの姿を先生にする」という話があった。

私も自然から学ぶとき、同じように子どもから学ぶ事の尊さを実感しそこに真実があるようにいつも思えるのです。

子どもが育つということ、生まれるということ、育てるということ、この「育」つというのはとても深い真理が潜んでいます。育という字の語源は、子どもが逆さまに母親から出てくるという文字から形成されています。

私にはこの逆さまということに大切な意味があるように感じるのです。

子どもの視点から物事をみたら、この世はどのように映っているのか。
子ども側から、育てるや育つ、生まれるとみたらどうしていることが自然なことなのか。

子どもと接する自分を省みるというのは、子どもの方が正しい存在して自分が果たしてどうなのかに気づくことのように私は思えるのです。

子どもに求めるよりも、自分自身の心の眼差しがどうなっているのかを省みるときはじめて子どもが先生となるのです。 しかし今の先生は、そうではなく先生の方が子ども達に求めてばかりで子どもたちからの本当の求めには応えようとはしていないように思います。

子どもの発達を信じて見守るというのは、本来の先生とは誰なのか、もともと先生とは何かというところに立脚することのように思います。

子どもを先生にして、自分自身を変えることに素直であることではじめて子どもの先生になるように思います。当たり前のことに気づける感性を、今の世の中の世間知を打ち破る強い信念を醸成して、子どもの周りに自然を呼び戻していきたいと思います。