心の余裕

心の余裕というものがあります。

人は心に余裕がなければ相手のことや周囲のことを受け容れることはできないように思います。自分で自分の心をいっぱいにしてしまったり、目先のことにいちいち心を奪われてしまい余裕を失ってしまっていたら大切なことは観えなくなるように思うからです。

本来、正しいことを行いたいといくら思っていてもそれは心に自問しながら歩んでいくものでもあるのだから心の中にスペースがなければ判断も歪んでしまっていくものです。

特にコンサルティングなどの仕事は、自分の心に余裕がなければできることではありません。どんな兆候も見逃さず、全体から直観的に布置を覚り、玲瓏冷静な心眼が動いていなければ物事も見通すことはできません。

余裕とはどこから失われていくのかは明確で、頭でっかちに考え出すところから始まります。

感じる事よりも、頭でばかりを働かせて思考が次第に澱めば事物全体の悠大な流れなども見通すことができなくなるのです。

心の余裕はいつも心が感じられる状態でいることを言いますが、そこには心を働かせ続ける実践というものが常に必要なのです。それは言い換えれば心の眼や心の耳、心の感覚というものを日々に磨き続けていくということだと思います。

感じる力というものは、心で決めたことを実行実践している中ではじめて味わえるものです。そういうものを避けて通ろうと頭で計算したり計画してもそこには仮想の世界が広がるのみです。

余裕がある時は、この時の順番も異なるように思います。まずは感じて、そのあとに頭で考えるということなのでしょうが、これもバランスでこの心と頭は同時であればあるほどいいように思います。

しかし一般的には心は頭と違って生もので気づきやすく傷つきやすいのだから先に心の方の動きが痛みを怖がり鈍っていくものです。そういう時こそ、心がいつも鈍らないように思いきった行動をして頭で考えることを善い意味で裏切る「勇気」が必要であるように思います。

感じる力と考える力の間には、恐れや不安を乗り越える「勇気」というものが必用であるように思います。そしてこの勇気は正義を信じることと、心の余裕から湧き出てくるようにも感じるのです。

誰でも等しくこの強さと優しさというものに向き合うものなのでしょうが、私自身も実践を学んでいきたいと思います。