人は自分の与えられた環境を本人がどのように捉えるかによってその人生もまるで変わってくるように思います。
例えば、それがどのような状況であろうともその人がどう感じているかによっていくらでも最高でもあれば最低でもあるように変化してしまうからです。
そしてそこには2つの選択、希望と妥協というものがあるようにも思うのです。
何か理想を掲げて取り組む時、それを自分が先に諦めることは妥協を選択したともいえます。それは「どうせ無理」からはじまるあの言葉のことであり、人が希望を捨てる時に使う呪文のようなものです。
人はいつ負けてしまうのか、受け身になって自分らしさを失うかと言えばこの妥協に甘んじるときに負けたのです。人はどのようにして今まで自分を貫き人類を存続させてきたか、私はそれは希望だと思います。そして希望あるところには、必ず勇気というものがあります。人はできたかできないか、やれたかやれなかったかの前に、その選択に希望を失わなかったかということが何よりも大切だと思うのです。
いつだって希望は、私たちを心から支え、どんな試練にも立ち向かわせるパワーがあります。
どんな時も希望はまだあると信じて取り組んでいたら、そこに必ず未来が開けるキッカケが訪れるようにも思うのです。そこまで待てるかどうかというものが、信念ですがその信念にはやはり希望を失わないことではないかと思います。
人は何度も何度も挑戦するうちに、それでも失敗が続くとすぐに希望を諦めてしまうようになっていきます。特に同じようなことが起きそうなシーンが来たら、またかと思ってしまいその時に勝敗が決してしまうように思います。
私も昔のバレーボールの試合で何度も同じパターンになったときに、負けが入ったことがありました。その時こそ、ピンチをチャンスにと打開してチャレンジすることで希望を捨てなかったように思います。
今の日本の社会は失敗を嫌いますし、一度でもうまくいかないとすぐに切り捨てるような厳しさがあるように感じます。それはやはり希望を見失っているからではないかとも思うのです、自己肯定感とか何かを言う人は沢山いますが、私は今はそうは思っていません。
この国に必要なのは「希望」ではないか、子ども達に本当に必要なのはやはり希望だと。
私はそう確信するのです。
その希望をどのように育てるか、希望を与えるかは、自らの生き方で示すしかありません。道のりは長く、そして果てしないのですが、正義のヒーローは希望とともにこの心にいると信じて取り組んでいきたいと思います。