運を伸ばすというのは素直でいるということにはっきりと自明するご縁があった。
昨日、ある組織の幹部研修の中でリーダーについての講義があり、そもそもリーダーとは何かともう一度私も感じてみるとやはりそこには運が善い人であるようにも思えたのです。
人が着いていきたくなる人はやっぱり運をもってそれを伸ばしていける人のように私には思うのです。もちろん、リーダーの人格や人徳、その志や向上心、誠実さやバランス感覚など総合的にリーダーは分析されていたりもします。
しかし一番何にとってリーダーの資質があるかといえば、私にはどうも運が関係しているように思えるのです。
この人といることは運を伸ばすことになるという確信は、言葉にはできませんがはっきりと持っているように思います。そもそも自分というものは、自分の実力を勘違いしているときの方が焦ってしまいキャリアや地位など外側の自分の願望に魅せられるように思います。
若い時は、腰を据えて根をはっていくようなことよりも早く伸びようと伸ばそうと躍起になるばかりで地に足がついていないようなことを繰り返して質を高めることよりも量を追っていたものです。しかしある一定の挫折を経験しそれを深めていく中で質というものに転換され今度は来たものをどれだけ選択してそれをものにするか、意味づけしそれを次に活かすかという枝葉を伸ばしていく時期になるように思うのです。
どこまで伸ばすかというよりも、その根の分だけ上へと伸びていくように思います。この後は、まだ体験が深まっていないのですが花をつけ実がなり種となっていくのだと思います。このめぐりというものを思うとき、やはりそこには運というものがはっきりとあってそれを如何に伸ばしたかというものが大切であるように思うのです。
そしてその運を伸ばすというのは、どれだけ素直になっているかということに尽きるようにも思います。ここでの素直さというものは、どれだけ運が善くなるような生き方をしているかと捉えてもいいようにも思うのです。
言葉にするのは難しいのですが、やはり運の善い人というのはいます。例えば、よく他人のお世話をし誠実で前向き、最期まで遣り遂げ、丹誠を籠めて取り組む、または強く優しい思いやりがあり、ピンチをチャンスに換えて笑顔を絶やさず周囲に信の環を広げていくなど、キリがないですがこのように運に恵まれる生き方を大切にしている人が運が善い人だなと思えるのです。
そう考えてみると、運を伸ばすというのはそういった生きていく上での大切な智慧をものにしていく人のようにも思えるのです。そしてその智慧を使える人というのはやっぱり素直な人、そういう真心の人柄の薫る人物であるようにも思います。
ロシアのバルチック艦隊を破ったかの東郷平八郎の逸話に、なぜ国家の命運を懸けた戦いの海軍の司令官に彼を選んだのかと明治天皇が山本海軍大臣に尋ねると「東郷は運の善い男ですので」と答えたといいます。
日本の命運を懸けたような時、それを導くリーダーの条件は「運が善い」ということなのです。
これは楠木正成などでも深めてみて気づいたのですが、やはり運が善くなるような生き方をしている人だからこそリーダーであるのだと実感した気がしています。真のリーダーとは、このように素直な実践を続け運を伸ばし、「真善美というものを追及していく人物」のように私には思うのです。
私が同行している師を確信する理由はすべてこの運に確信があるからだと実感しました。
人生の中で、このように振り返り省みて自明する機会を得られたことにご縁の不思議さを感じるばかりです。人生は本当に面白いと好奇心に心を遊ばせていたら、一期一会の歓びと幸福観に満たされ自然に偉大で尊い感謝の豊穣の気持ちがこみ上げてきます。
貴重なお時間、貴重な出会いをいただけたこと、この学びに天の真心に感謝しています。
また道を歩みゆく中での運のめぐりを楽しみに学びを実践していきたいと思います。
有難うございました。