先読みと先待ちというものがある。
先読みができるとうのは、将来に何が起きるのかを予想しているということです。ありとあらゆることを想定して、どのようになるのかを見通しているからこそできるものです。
考えられるすべてを想定して心で配慮し、その通りに行おうとするときこの先読み力が問われます。しかしこの先読みは経験や体験の中で気付くことであり、責任感などに裏打ちされて強くまた繊細になっていくようにも思います。会社でもホスピタリティと言っていますが、どれだけの気配りと配慮ができるかでその信頼の絆を深めていくことができるのです。
もう一つ、先待ちというのがあります。
私は直観系でシンクロニシティを感じるタイプなので、きっとこちらの方が強いように思います。
これは将来起きることを事前に知覚しそれを待つというものです。
自分の人生や運命を信頼して、必ず光が当たりお役立ちできる日がくるのを信じて必要な力を醸成し準備を怠らずに待っているということです。これは、信仰心があるからだと思いますが世間は正しい、天は正しい、すべてのことは正しいと素直に信じるからこそ信じているともいえます。
一般的に人は先に確証がなければ動こうとはしないものです。
何かをやろうとすると、計画を出してや結果を見せろなどと、何でも現実に存在しているものを基準に信じるか信じないかと確認してからどうするかを決めているように思います。これも科学で証明されたものしか信じないという用い方をしますが、例えば脳科学でそうなっているから信じられるや、学術的に研究され解明されたから信じるというように、まずは奇跡や真理というものに接するときは疑いの眼差しから入っているのです。
しかし実際の世の中で起きることは、宇宙を丸ごと理解するのと同じようにほとんどがすべて人智を超えていることしかおきておらずそれを信じるかどうかというのはその人の心の在り様によって左右すると思えるのです。
全ての人生、全ての出来事を信じることから入るのか、疑うことから入るのか、それはその人の心の在り様だと思いますが如何に自分から周囲を信頼するか、しないかはとても生涯において人との関係を築く上で何よりも生き方として大切なように思うのです。
実際には人間関係の中にも、相手に対し疑心暗鬼になっていて約束も守ったら信じるというような接し方をしている人が多いように思います。結果を出したらはじめて信じるという具合に、信じる前があり信じられないことが前提で接しているのです。本来はそうではなく、守ろうが守るまいがご縁を信じる、出会いというものを信頼しているということが良好な人間関係を築くことになるのだろうと思えるのです。
人間関係だけではなく、信頼というものはすべてにおいて必要です。
先待ちができるからこそ、理念を掲げて信念を持って優先順位を決めて実践を継続していくことができるのです。なぜなら、将来を信じているから、信頼しているからそれがやれるということなのです。人はすぐに自分の思い通りではないと気が済まないとなんでも自分都合で諦めたり悩んだりするものです。これは単に信頼しようとしないのです、信じるということよりも疑う方が楽だと思っているからです。
しかし本来は、それも一つの通過点、ちゃんと最終的には思った以上のことを用意してくださっていると分かって信頼しているのだからワクワクドキドキと日々を楽しみに過ごしていくことが心を高めていく精進のように思います。そしてその心境があってはじめて先待ちなのです。
先読みも先待ちも、どちらも心の力を使わなければできないものです。
読めないのも待てないのも、それは心で観ようとすることができないからのように思います。
心が安定し穏やかで、心が落ち着いているのも、心で観ようと、心を大切にしているからです。
人間学を学ぶのも、そういった心の鍛錬、心の練磨による穏やかな境地に達するために続けていくのだと私は思います。子ども達にも、信じるということの大切さ、周囲を信頼するということの偉大さを伝承していけるよう実践を深めていきたいと思います。