自然界では様々な生態系が繋がりの中で共生しいのちをめぐらせています。そこには無駄というものが一切なく、様々な活動そのものがお互いに必要な貢献につながっているのです。
それは生死を含めて、すべては自然の中に活かされる存在とも言えるのです。
しかし実際は、人間たちの都合で必要と不必要を分別し、思い通りにするために有害無害を決めて自然を征服しようとするところから様々な問題は生まれてきます。
そのことが活かそうとするという観点を失わさせているように思えるのです。
本来は自然とは、活かしあう関係の中で成り立つ世界です。
例えば、自然農を取り組むにしてももしも農園が野生化されたところで行うのなら野生化したままでそれを活かすような方法を考える。また人間の中で炉利組むならば、人との関係の中で活かすようにする。
常に何でも活かそうとする関係、どんなことでも活かせるのだという確信、そこに本来の原則と法理である自然あるがままの姿があるように思うのです。
この活かすというのは、無駄がないことであり、もったいないということに気づくということです。
この世は、八百万の神々が存在するように一つですら要らないいのちなど存在しません。
こういうことを学んではじめて、いのちを活かすという観点を持てるように私は思うのです。
天の心を学ぶには、天の在り方を学ばなければなりません。
自他を活かす共生と、その絆をつないでいる貢献というもの、そこに自然があります。
すべてのものを活かして、セカンドシーズンを迎えていこうと思います。