ズレテイルということについて深めてみる機会があった。
よく自分がズレテいるのではないかと確認するということは誰にでもある事です。自分の方が正しいと思っているからズレテイルと思うのですが、本来のズレテイルというのはその自分が正しいと思っていることがズレテイルの本質であると私は思います。
そもそも大前提として自分がズレテイルと思っている人はどんなことも素直に聴き、常に自分がズレテイルのだからと謙虚にズレテイルといつも感じています。そのことが、ズレテイナイ自分というものを維持する法則であるのです。
しかし実際は、自分のどこかズレテイルかと確認する人はどこかに正しいと思い込んでいる自分の価値観があるから相手や周囲を自分の主軸にしてしまうという間違いを犯してしまうために、ズレテイルということが分からなくなってしまうのです。
このズレテイルというものは、最初から自分がズレテイルのだから周囲は正しい、相手は正しいと信じているのだから、常に変えるのは自分、相手を変えようとはしないという本来の原理原則の自然の主軸に合うようになるのだと思います。
つい相手を変えようとすると、相手のどこかがズレテイルのだろうと推察してしまうものです。そんな時は、自分は変えようとしたくないからズレテイルところを探してしまうのだと思います。本来は、自分がズレテイルのだから自分の何を変えればいいのか、根本は自分自体のズレなのだからと素直に自分を変えていこうと思うことがズレナイためのコツであろうと思います。
例えば、信じるということもそうですが、大前提として信じるというところから入る人は何があっても間違うことはありません。なぜなら、自分を変えることに素直になれるからです。しかし大前提として疑いから入る人は、どんなに部分を変えたとしても根本的なこの大前提の姿勢を変えていないのだからいくら変えたと思っても自分の都合で相手に変わってほしいか相手を変えたいのだからそれでは自分は何も変わっていないということになってしまっているのです。
自分はここまでやっているのにとか、自分がこれだけやっているのにとか、自分は正しいのになぜこんな理不尽になどと思ってしまうのも、このズレテイルことの本質、そもそもの本来のズレの意味に気づけけない、つまりは自分がいつもズレテイルのだから自分を正そうという素直な心、人や機会を信じる姿勢の方といった根本的な問題に本人が気づけていないということが真の問題であろうと私は思います。
コンサルティングという仕事も、他人に教えるなどという気持ちが出てくれば次第に自分が正しいのだと錯覚し相手を変えようとしてズレテイルの本質が分からなくなってしまうから特に注意が必要です。常に自分自身が変わることがコンサルティングなのだという基本姿勢こそがもっともズレテいないで導くということに気づくことだと私は思います。自分が変わらないままで、自分たちが変わっていないのに相手を変えようとすること自体が烏滸がましいのです。
最後に、孟子にこういう一説があります。
「人、その田を捨てて人の田を芸るを病う。人に求むるところのもの重くして、自ら任ずる所以のもの軽ければなり。」
これは意訳ですが、「人間は自分の田畑の草とりもちゃんとできていないくせにすぐに他人の田畑の草とりが進んでいないことばかり気にかけたり非難したりするものだが、それはすぐに他人には要求するくせに自分の役割や使命、その責任を軽んじた生活をしているからそうなってしまうのです」
そして続いてこう説きます。
「大人なる者あり。己を正しくして、しかして物正しき者なり。」
つまり「君子は、そんな余計な暇があるなら真摯に自分を正しくし変えるために専念し精進していくものです。そしてそういう人ではじめて周囲のすべてを正しく導き感化できるのです。」
反省することばかりですが、まずは自分自身がズレテイルということに常に意識を持ち他人のことを言う前に自分はどうであるのかと内省していくことを大切にしていこうと思います。相手を見過ぎるのは生活が怠惰になっている証拠ですから常に時間を大切に自分との正対を真心で取り組んでいきたいと思います。