ベランダで稲を育てているからか、今朝がたトンボがどこからか飛んできました。
春には、ハチも飛んできたし、初夏にはイモムシも増えていました。
それに真夏にはクモもいて、時折は見たことのない鳥もやって来るようになりました。
高層ビルばかりで、下は首都高速が走る8階の建物のベランダに生態系が訪れます。
ビオトープを始めた時は、メダカやタニシ、その他の生きものをたくさん購入して持ち込みました。しかし今年の夏の暑さのせいか水草は元気だったのですがエビたちや一部のタニシのような貝以外は今は姿をみせません。持ち込んだものは次第にいなくなり、持ち込んでもいないものがたくさん増えてきました。それは新しいいのちであったり、どこからかやってきた生きものたちです。
驚いたのは稲の鉢の中からメダカの赤ちゃんが誕生していたことでした。
そしてそれは今もすくすく元気に泳ぎまわって大きく育ってきています。
他にも大豆や黒豆、紫蘇や山椒なども植えていますが次第に大きくなって仲良く花を咲かせています。ベランダでは小さなプランターで寄せ植えになるため、そこでみんなが寄り添って生長していますがその中にもちゃんと棲み分けそれぞれに光が当たり、雨が入りこみ、風が抜けるようにバランス感覚抜群に調和しています。
私が最初に頭で考えていた頃よりも、自然にしていたら多くの生きものが集まり、当初私が思っていたよりも自然にしていたらみんな本当に立派に健やかに成長しています。
何もしていない方が自然と感じる幸せな瞬間です。
自然というのは、いのちがすべて天然であることを示してくれます。
そしてそれは本来、自分のいのちが本当に望んでいたものを思い出させてくれます。
何もしないで待っていれば次第に自然になっていく、その慈愛を憶えるのです。
だから持ち込まない、持ち出さない、何もしない、それが自然の豊かさなのでしょう。
何もしないのが善いのはみんないのちは素直であることを実感するからかもしれません。
何もしないのが自然というのは、何もしないとき信じ、素直になっているということなのでしょう。
それがいつもの私が尊敬してやまない大好きな自然なのかもしれません。
自然が好きな理由との邂逅があった自然との出会いを今日も楽しんでいます。
子ども達の自然を見守っていこうと思います。