真の余裕

人は当たり前であることに気づかずに日々の喧騒に忙しくしてしまうものです。

忙しいとは何かといえば、今のプロセスを味わうことをしないことです。

今という一瞬は二度とは戻って来ることはありません。

今在るご縁や人々、その出来事は二度はないのです。
その瞬間瞬間に様々な感情が湧きたってきます。

その一つ一つを愛おしく感じるように大切に過ごすことのように思います。

もちろん、日々は様々なことが起きるし起こっています。
もしもそういうことがなければ、自分に「させていただく」こともできません。

自分の立場でばかりで物を考えていると人は誰でも忙しくなっていくものです。

相手の気持ちになることほど豊かなことはないと思えることがあります。

それは悲しいことも嬉しいことも、幸せなことも寂しいことも、そういうものを自分の中に広く受け容れた時、真の豊かさとはこの繋がりの中にあるのだと実感するのです。

時間的な余裕をいくら手にしたからと、相手の気持ちを慮る余裕がなければその余裕は仮初の余裕であり真の豊かさを感じられるものではありません。

だから私は共感というのは自他を超えたところにあるのではないかと私は思うのです。

場所を超え、時間を超え、垣根を超え、生きものの違いをも超える気がするのです。

いつも心に自分以外のものを容れる器を広げておきたいと感じます。
なぜならそこに思いやりや真心があると思えるからです。

当たり前のことに気づける感性を、何気ない日常に得られる歓び、出会いを楽しんで美しい地球にいることに感謝しつつ、子ども達の健やかな生長を楽しみたいと思います。