自分らしさや多様性を考える時、自分自身に問うということが大切だと感じます。それをせずに周りを見て合わせたり、相手にあわせて答えを出していたらこれは自分らしさではなく多様性にもつながっていかないと思います。
例えば、植物でもそうですがある花が自分らしく咲いています。これが周囲がどのように咲くのかを見ながら自分もそれにあわせて咲くかといえばそうではなく、自分らしく自分の中にある問と答えによって偉大に成長していくのであろうと思います。
そこにたとえ蝶や蜂が飛んでこなくても、必死に自分のいのちの花を咲かせ続けます。
そのことで何かの御役に立つことを自覚しているからです。
人間はお役に立ちたいといいながら実際は、御役に立つことを知らない人ばかりです。
本来、自分がどうしたいかが分からない人にお役に立てるかどうかは分かるはずがありません。相手が御役に立ったと言われたらお役に立ったのかではなく、自分らしく一生懸命に生きた証としてそれが必ずお役に立つと信じているからお役は立つのです。
このお役の立つは、自立の立つです。
自分を如何に活かしていくか、自分を如何に自らで立たせていくかというのが本来の貢献であり、その貢献の結果としてはじめて成長があるように思います。
自然界はそのように自らのいのちを咲かせてそして貢献し、永続的に成長をするのです。そしてそれが多様性というものになりさらなる貢献と共生、そして成長と繁栄をもたらしたのです。
どのような環境下にあっても、自分で決めて自分で歩むのが自然であろうと思います。
不自然さというのは、自分で決めず自分で歩まず依存するところなのでしょう。
楽をしていのちを粗末にするのではなく、楽しんでいのちを大切にすることです。
それは自らで自問し、そして自答し、自らを必死に活かすことで楽しめるのです。
どのように自分を役立てていくかそれは自分で決めたいのちの活かし方であろうと思います。
子ども達のためにもまずは立派な大人のモデルを目指していきたいと思います。