道といわれるものでもいろいろと思うことがあります。
例えば、武士道というものがありますが武士道は武士でなければできないものかといえばそうではありません。そして随神の道というものも、別に神主でなければできないものかといえばそうでもありません。
つまりは道というのは、別に職業の道ではないのです。
さらにいえば、経営道やコンサル道、教師道などといろいろと言われますが職種や肩書がそれだというのは本来の道から外れているのではないかと思うのです。
どのような環境であっても道は失われないのは、その道が一つのものであるからです。
今の時代は道が間違って伝えられ、かんながらの道は神主道になり、仏の道も住職道になり、またさらにおかしなことに孝の道も、福祉者道やボランディア者道、育の道も、園長道や保育者道のように人や肩書などになっていて語られているのです。
本来、私たちが志す道は太古の昔から今に至るまで一つの道で繋がっています。
それを自らで受信感得し、元の道に近づいていくことこそ尊いことだと思います。
道とは、いわゆる人間の都合で語られるものではなく自然にあるものです。
二宮尊徳が大道についてこう詠みます。
「ふる道に つもる木の葉を かきわけて 天照す神の 足跡を見ん」
ルーツを辿れば、元は一つ、そして根源は一つ、その一つこそが未知、それが道です。
いろいろなことを道のように語られ分かりづらくなっていますが、その積もり積もった落ち葉をかき分け、創始開闢の心にいつも出会いつつ、かんながらの道を然がままの真心に歩んでいこうと思います。