当たり前のこと

人間は次第に当たり前であることに気づかなくなっていく生き物です。

あって当たり前、これで当たり前というように、今あるものよりもないものへと意識が向いてしまうものです。しかし本来は、強く願ったことで手に入ったものでも実際は手に入るとそれまでのように感じてしまいます。

なくてはならないものがあって当たり前になるのは、感謝が足りないからとよく言われますがこの感謝とは何かということです。

今の自分を存在さしめているのは周囲の存在があってはじめて成り立つものです。

今の自分でいられるのも、今までの周囲があってこれからの周囲が存在しているからです。

これが滅多にない、つまりは有難いことだと実感することをいうのだと思います。

このように、自分の周囲がありふれていること、いかにもふつうであること、ありきたりで珍しくもないことを私たちは当たり前というのですがこの当たり前を感じる時、実は人は平和であることを感じ、幸せであることに気づいたりするもののように思います。

自分の周囲が当たり前にいることは、周囲も当たり前の幸せを享受しているということです。
だからこそ自分がどう生きるのか、その生き方そのものが周囲の当たり前に貢献するのです。

特別なことをしなくても、自分が感謝とともに歩んでいくことは周囲を幸せにしていくことだと思います。自他というのは、とてもシンクロしていて自分が運が善い時は当然、周りも運が善く、自分が幸せなときは当然、周りも幸せ、そのように自他同然であるのです。

当たり前やふつうということ、ありふれた日々というのは周囲もあっての自分なのです。

そしてこれもご縁というものを感じる時に味わえるものです。

滅多にない出会い、有難い出会い、この有難さに気づき続けることがご縁なのです。

こういう当たり前に気づける感性を気づくにも日々の内省とともに、どんな時にも常に自他を活かすことを考え抜かなければ鈍っていくものです。

子ども達の幸せを願うのだから、常に自分を活かし周囲を活かし、それを当たり前にしていくような自らの徳性と尊び天命を畏れるような生き方を実践していきたいと思います。