ドイツ研修も6日目を迎えました。
昨日は、午後よりヴェルツブルグの町にある幼稚園と保育用品メーカーを視察しました。
夜からは、ヴェルツブルグの市内をガイドとともに散策してまわりました。
その後は、500年以上の歴史のある居酒屋でフェアウェルパーティを行いました。
一つの出逢いがあれば、一つの別れがあり、もう一つの再会があります。
扉はいつも開いたり閉じたりしていますが、その先にある未来を予感しています。
今回はふり返りをテーマに参加していましたが、不思議な体験もたくさんしました。心の故郷がどこにあるのかを自覚したり、国境も時空も飛び越えて思いを伝え合ったり、五感を使うことで日頃何気なく過ごしている日常が変わってしまうのです。ご縁を感じるのも、感謝を憶えるのも、そういうひとつひとつに心を使ったからのように思うのです。
ずっと心を使っていればむき出しの心は当然傷つくことになります。
しかしそれは身体の古傷と同じように必ず癒されるのです。
ドイツの陶冶プログラムの中で、「リジリエンシー」についての話を伺いました。これ逆境にあったとき立ち直ることのできる心の力のことで、船が傾いたときに自らで元 に戻れるような力のことです。
心を使うことをやっていくことでこの力は伸びていきます。しかし同時に、その心をつかうということは生身の人間ですから時には風雨にさらされ、時にはひなたぼっこしたりと、まるで海の姿のようにゆらゆらと揺れながら波が変化しているようなものです。
自然にしているということはどんなことか、それは自分が自然の一部であることを第六感でいつもいることです。自分が自然であるのだから自然現象は起きますし、その中で時には病んだり回復したりとしながら強く優しく生きていくことがいのちそのものであるからです。
今の時代は不自然の中に身をおくことで、心を頑なに閉ざして生きていこうとしたり、心が脆くくずれないようにと怖がり、自ら前に進もうとしなかったりと、元来の生命力を喪失してきているように思います。それを取り戻すということでしょうが、私はそれは決してその人だけの力でやることではないと思っています。
ではこの立ち直る力はいつ漲るのかを自明していくとそれは共感するときのように思います。家族や友人、仲間たち、同志、先生といった人達の励ましによって得られるからです。
どうやって心を回復していくのかは、それは心の支援によるものです。
心は、愛し愛され、思い思いやり、そういう共感によって偉大に支えられます。
自分が一人ではない、自分の周りにはたくさんの見守りがあると感じることだと思うのです。
いくら一人だけで踏ん張ろうとしても、それでは折れてしまいます。
自ら信じているから心をむき出しにしていられるのです、だからそれでも真心を使うのです。
つまりそういう天の真心のままに使えるものを私たちは「天使」とも言うのかもしれません。
この立ち直る力が何を意味するのか、それは世界は今、見守る力を求めているからのように私には思えます。今回のドイツの中で得た感覚は、時代が呼び覚ました「MIMAMORU 」への確信だったようにも思います。
傷つくことを恐れないで歩めるよう、好奇心、第6感を自ら育みそれを今を生きる人たちへと広げたいと思います。
助け合って生きていけるという安心感と、仲間といることの歓び、その自然の偉大な見守りたちの中で、心をより優しく強くして昇華する旅にしていくことが人生そのもののダイナミックな自然の在り様そのものだからです。
今は、これらの御土産を早くみんなに話したい、仲間と早く共有したいと心はワクワクと躍っています。