人は相手に要望することは、その問題が自分の中に存在することがほとんどです。
こうしてほしいとか、ああしてほしいとか、自己中心的になる時は何かの囚われの中にいるともいえます。 自分が望んでいるように周囲をしようとするのは、自分自身の中の何かが自分を変えることを拒んでいるとも言えるのです。
自分というものを理解するというのは、何よりも難しいからこそ他人の意見を素直に聴き容れそれを実際の現実に照らして観る必要があるのです。
知らないうちに囚われていくのだから、身近にアドバイスしてくださる方がどれくらいいるか、また自分からそれを確認することを怠らないかということが大切なことであろうと思うのです。
例えば、チームという概念があります。
チームには、情報共有というものがあり、御互いに知っておきたいと思う情報がたくさんあります。しかし、それが円滑にいくかどうかは自分自身の意識の壁を取り除けるかどうかというものがあるのです。
みんな相手に求めることを優先しますが、本来は自分がどう思っているかはチェックしようとはしないものです。何かを誰かと行う際も、自他を分けてこれは自分の仕事、あれはあの人の仕事と割り切ってやっていると協力していくことはできません。
全ての仕事は一緒にやっているのだという意識、自分側に一緒に取り組んでいるという気持ちがどうなっているのかをチェックしていくことが協力しようとしているかに関わるのです。なぜなら、相手に合させようと皆が考えるよりも自分から合わせていこうとする方が本質的な協力関係を築き上げることができるからです。
どうしても、人は楽をしてしまい自分の方を変えるよりも相手に変わってもらおうと要求してしまいます。それは、こうでなければならないはずという思い込みであったり、こうあるべきだという自分の価値観の囚われだったりするのです。
大切なことは、自分から一緒にやることになっているかという自分の意識のチェックを相手に矢印を向ける前に行うことができているかを常に自問することのように思います。自分を正していくということが、一番難しいのが人間のように思います。
私自身も焦ってしまい、何のためにかという本質を見失うと迷うこともありますが、自らに省みて克己心を磨いていこうと思います。