先日、ドイツに訪問しふり返りをふり返った際に客観的に自分の人生というものを省みる機会がとれた。離れた場所に身を置くと、それまでの繫がりがはっきり観えてこれが自分の人生なのかと感じることができます。
同時にどれだけ異国の離れたところにいたとしても、自らの人生というものは自分と関係があるものによってできていると感じます。それは、離れたところからのお便りや写真、たとえ時差があったとしても時間や出来事を共有していたりと、つまり自分が何と今も繋がっているのかを省みることで自分の人生が分かるのです。
自分の人生とは、自分がどのような人たちと出会いご縁を結んでいるかのことです。
当然、ご縁が変われば人生も変わるのは自分の周りの人たちとのご縁が人生なのだからそのご縁次第では自分の人生も変化してしまうのです。それは男女でもそう、親子でもそう、師友でも出来事でもご縁によって導かれています。
そしてどのような人たちと道を共にするのか、どのような人たちとのご縁の中に自分を置くのかで自分の人生はさらに彩られていきます。そしてそのように生き方を連なり重ねる人たちによってそれぞれの人生はそれぞれに創られていくのです。
自分がどのような人たちと関わっているか、自分がどのような出来事と共にするか、自分がどのような生き方や働き方をするのか、それは自分がご縁を選んでいるともいえます。言い換えれば、自分の人生を選んでいるのです。
ただし、そのご縁がどのようなものになるのかは自分が選んで繋がり、自分で深め厚くし、それをさらにそれを広げ開いていく必要があると思います。
つまりこれらのご縁を活かすというものは、人生を活かすというものでそれは常に自分から求め得ていく必要があるように思います。もちろん、善い人に巡り合えば善い人生を伴にすることもでき、またそこにご縁を活かしたかどうかの自分が主体となる人生も存在しているのです。
柳生家の家訓に「小才は縁に出会って縁に気づかず 、中才は縁に気づいて縁を活かさず、 大才は袖 ふれ合う縁をも活かす」とあります。
縁があるから一緒にいるのですが、それが自分の人生だったとはみんな思わないことが多いように思います。誰といるかが大切なのは、それがご縁という名の人生そのものであるからです。
それなのに身近にいるのに、あまり深めない縁があるというのはとても勿体ないものです。
お互いの生き方から学び、それを人生に活かすのがご縁を大切にすることのように思います。
どのような人たちに出会った生涯にしていくか、そしてそのご縁を真に深めたか。それはお互いの思いやりや真心の繫がりでご縁は尊く結ばれていくように私には思えました。
このご縁の不思議に魅せられつつも、有難い人たちに恵まれている自分に感動した人生の毎日です。一期一会の人生をこれからも味わい、楽しみ、それを深めていきたいと思います。