ドイツ研修のふり返りの中で気づいていくものに歴史というものがあります。
その国の歩み方や進み方の中に、過去の経験が活きていてそれがものづくりに活かされたり、生活の智慧になったり、そして思想や性格などになるのです。
例えば日本も昔からたくさんの建造物をつくりあげてきましたし、他国でも創造してきました。その延長に料理というものがあったり、商品があったりと、その国々で究められ生み出された美があるのです。
そして世界では、それぞれの美意識をそれぞれの生き方に取り込んでその国で生まれた精神やその中で練り上げられた心を学び自らの生の質を高めてきたのだと思います。日本製というものが精巧で精密、正確であるのもそういう日本の美学が生きているからでこれはスイスでもドイツでも言えることです。
お互いの文化を味わっていくというものは、どのように自分の国の「ものにした」かということの歴史を感じるとも言えます。
私たちの先祖では、かの空海もただ中国へ留学するのではなくそれを日本のものへ呑み込んで私たちの生活に新しい文化が生まれました。その広さは、料理だけではなく建築、土木、治水、広げてみると大変なものです。その後も、明治維新のときは西洋諸国の数々の文化を呑み込み新しい日本のカタチを模索して取り込みました。この時は急ぎ過ぎたのか、そのまま取り入れたものが今の時代の弊害にもなっています。
正しく取り入れるためには、全てのものを自分で咀嚼する力が備わっていなければなりません。それはよく日本文化に精通し、自らが日本という生き方をしそれを体現し一つの高みまで昇華させた人でないと難しいように思います。
そのためには、自分がどうしたいのか、自分の本当の目的が何か、それを問い続けて自らの文化創造から取り組んでいなければ難しいのではないかと思うからです。
お互いに善いものを取りいれるというのはあっちがいいやこっちがいいではなく、そこに大変な謙虚さや素直さが必要だと思えます。それは本物を見分ける力が働いているように思います。いろいろな環境の中でいろいろな人がいるから人は学んでいくのでしょう。
自分が何をしたいのか、そこから考え直してふり返っていこうと思います。