引き算の美学

先日、ミッションパートナーとブランディングについての話を深める機会があった。

ものづくりというのは、とても神秘的なものでそのものに自らの生き方を透写し、それを一緒に善い作品へと転換していくという面白さがあるのです。それぞれの生き方を照らしあわせたとき、その奇跡とも言える総合芸術ができるかのようです。

人はそれぞれの持ち味を活かすとき、今までにないような不思議な味わいを醸し出します。
これは発酵でも同じですが、大切なのはやはり自分らしさを出すということなのです。

そしてこの自分らしさは、自分に正直、全てに正直、あるがままの心が澄まされオープンでいることがその曇らない飾らない素直さを発揮させていくように思います。

そしてそこにはシンプルというデザインがあります。私が好きなデザインも、光がわかるよう白と黒が基調だったり、そのものがより本質に近いものや、その作り手の人生観がにじみ出ているようなものにとても惹かれます。そしてそれはやはりシンプルなもので、余計なものをどれだけそぎ落としたかというものを観るのです。

世界には、そうやってありのままに観える人がありのままにつくったものが無数にあります。そういうものを探し、それを日本のカタチに転換することで私たちのものにしていくことができるように思うのです。

ないものを探そうとするのは、まだ曇っているからで本当はすべてはこの世に存在していてそれを目が曇るから見いだせないという発想。つまりは物事はすべて足し算で考えるのではなく、引き算で考えればないものねだりではなく在るもの探しに変わるのです。

これはデザインやものづくりに関わらず、大前提としてものを創る前にその美学がどうなっているかが問われるように思うのです。日本には、千利休や松尾芭蕉、その他にも「わび」「さび」「しおり」といった日本を代表する引き算の美があります。

私もそれを感じた時、本当はないのではなくあるのではないか、そして足りないのではなく活かせないのではないか、すべては自分の中にあるものを発掘できていないのではないかと、自らにおける制限を感じたのです。

自分が自分に制限をかけるから、人は限界を超えないという言葉があります。
みんな人が変化できないのは何かに縛られ囚われる刷り込みがあるからです。

そういうひとつひとつを引き出し、導くことも使命であるように感じます。
子ども達のためにも、自分らしさを持ち味をさらけ出せるような生き方を目指そうと思います。