自宅の庭には様々な野草が自生しています。
その中に野菜のニラもあるのですが、今年はその種どりを行いました。
昨年からコメや大豆、麦を育てているのですがなぜこれらをパートナーにするかというと種がたくさん採れるからであろうと思います。種そのものを食べることができ、なおかつ種そのものになっているということから保存にもよくまた育成するにも善いからであろうと思います。
まず生き延びることや生き残ることを中心に物事を考えていくというのはシンプルなことです。
今は生きること以外にもたくさんのことを考えて悩まなければならなくなっています。複雑に分かれたものをいちいち思想で掘り下げてその溝を埋めて、また広がるのをまた改めてと常に何かで発生することを本質へと帰すようなことを続けていく必要が生まれています。
以前、震災の時にあまりにも全てが止まると一体何をしていたのだろうかと我に帰るときがありました。そういう時こそ、自分が何をしようとしているのか、何をしたかったのか、その本質に正対するのです。
そうでもしないと今は一体どうなっているのかが分からないのかもしれません。
周囲を信頼して生きていくことも、生き延びるために食べていくことも、また天を畏れ徳性を尊び学ぶということも、とても素朴でシンプルな問いだからこそ発見しずらくなっているのでしょう。
余計なことをしなくても、どんな周囲と一緒に生きていくかを大切にしていけば自ずとそれぞれの生がそれぞれのままに足りていくのかもしれません。
種どりをしながら、四季のめぐりとともに共生してきた先祖代々の歴史を感じます。
子ども達に受け継いでいく真心として、もっとよく周りを観て、思いやりを感じ、御互いに少し手伝いつつ自生自足を歩んでいきたいと思います。