今の食生活の中で特に言われる栄養について深める機会がありました。
一般的には、今の食生活には質素に素食をするということは栄養が足りないと思われる傾向があります。おかずが少なかったり、肉を食べなかったり、たくさんの野菜や果物を摂取していなければ健康を維持できないというように思われているのことが多いのです。
先日も病気の件で相談にのっているとき、「一汁一菜の生活が善い」と話をしていてもそれでは体に善くないからとすぐに栄養のあるものをたくさん食べる方がいいからと勘違いされるのです。
世の中には物の観方というものがあり、足りないものを探すのと足りているとして探すのと大きく二通りの考え方があるように思います。そして足りているものを理解するには、もともと人類が何を食べてきたのかから考え直すことで観えるように思います。足りているものを探すのは本質やシンプルさを追求していくといいのです。
私たちの先祖は穀物を中心に、その他は身近にある野草、たまに肉や魚を食べそれを常食できるように保存食にするために発酵させそれで生き延びてきました。その他、生活の知恵の中で適度な塩と自然界全体からいただく空気や水、その他の気を吸収しいのちを活かして世の中で活動していくのです。
これは動物も同じく、自分が生き残るのに必要なものを必要な分だけ食べることでもっとも元気で健康な姿を維持していくのです。そもそも自然界は、栄養があるかないかで食べ物を見分けて食べたりする必要がないのはもともとそこで食べていきられる環境の中で生活していたからのように思います。
今の時代のように他国のものを食べ、突如として環境が変化してしまう中に移動し、そこでの生活に順応できないので栄養という考え方になっているように思います。
しかし実際は、先日のドイツでもそうでしたが自国の長年食べていたものを食べるとすぐに元気を取戻し、心身が健康になっていくのを体感したものです。つまりは、私たちはもともと食べてきたものを食べるとき、それが一番自分に合っていると本能的にも感じているのです。
今の科学では実証できないものも食にはあろうと思います。
足したり引いたりするものではなく、シンプルな食事、本質的な食を考えていくことが本来の食養であるように私は思っています。今の時代は当たり前の食が何であったのか、そういうことも思い出すことがないくらい世の中は便利な食の中に身を置いています。
本来の自分を維持し、日本人として活躍していこうと志せば忘れてはいけない日本食というものがあるように思うのです。そしてそれは一汁一菜に観る、玄米食、つまり本物のお米を主軸にそして発酵食、その他は自然界丸ごとの旬の恵みのことだと私は定義します。
常にシンプルな生活をしていく歓びの中に身をおけるように、魂、心、体の素のままで実践していこうと思います。