発酵し楽しむ~求道の心~

先日、千葉の自然のままのお酒を醸造している寺田本家を訪問することができました。

先代の著書、「発酵道」というものを拝読し生き方が似ていたところから関心を持ったものです。人は道から外れていると色々な体験をします、それでもと求道するからこそ敢えて大変な方へと飛び込んで自らその道に気づくようにできているように思います。

私の場合も、善かれと思って取り組んだことがその通りにいかず人間関係に悩み、仕事に悩み、善悪に悩み、結局は自分の方が間違っていたと素直に反省するに至ることがありました。

求めていけば与えられるというのは真実で、どんなことでも自分が求めていけば必ずそれが道につながっていくようにも思うのです。そしてその道に出会えば、その道を歩むことを楽しもうと精進していくこともまた人生であるように思います。

さて、発酵の話になりますがご当主ともお会いし訪問した時にも言われ改めて深く実感したことがあります。そのご当主の御挨拶の中にこのように書いてあります。

「寺田本家で無添加でお酒を造るのも無農薬の原料米を使うのも、そのほうが楽しいか らです。手造りにこだわるのも、造っている僕たちがそのほうがワクワクと楽しいからです。正しいことよりも、楽しいことを選ぶと、自然と本物へと近づいていくってことですね。発酵するって楽しいほうへどんどん変わっていくことなのかも知れません。」

正しいことをしようとすると自分が窮屈になり価値観に縛られ、全体も歪んでいきます。誰かが正しいと言い出せば言い出すほどに正しくないものが顕われ、それが邪魔をしてまた素直でなくなっていくように思うのです。

しかし本来、自分が楽しいと思うものは道につながっているものでそれを究めていくことがもっとも自分に合っているということになるように思うのです。

楽しくなくても正しいのだからと遣っている人たちはたくさんいます。これは今の仕事をみていてもそうかもしれません。

ただ楽しいというものは、自分の中から込み上げてくるもので何度も楽しい楽しいとつぶやくのは自分の求めている道につながっているという実感のことであろうとも思います。

私は保育道のお手伝いをしながら、その道が広がっていくことを祈ってやみません。
そしてそれは正しいからとやっていたことが多いように思います。

しかしここにきて、これは楽しいからだと思えるようになっています。
それは共に歩んだ時間が何よりも幸せであったといつ回顧しても思えるからでしょう。

子ども達のためにも自分から発酵し続けるため、求道し大好きなことをしようと思います。
ご縁に心から感謝しています。