昔書いたメモなどを見返すのは、昔の体験をフィードバックするときに使えます。
人は自分を中心に物事を捉え、すべてのことに善悪を考えたりすることで苦しみ悩んだりするものです。そういったことから、様々な思い出深い体験をし、悔いたり反省したりしていくように思います。
そうして時が経ち、次第に事実を受け容れることができ気づいたことを記憶に書き記していくように思います。それを自分を再び省みるようなことができるとき、自分がどのような感情があるのか、我欲があるのかを客観的に分析しそれを整えたり制したりしていくことができるのです。
それは頭で行うものではなく、すべて心が行っていくもので内省というものの本質を捉えているのです。
内省というものは、自分の心を観照しその心を見つめて変化していくもののように思います。
そうやって素直に自分を受け容れることができるなら、何らかの出来事というのは、自分が変わっていないことの証明と自分が変わっていくことを教えてくださっている天の声とも捉えることができるようになるのではないかと私は思うのです。
そしてその天の声に対して、自分が過去に体験して気づいたメモや書き記した記憶こそが自分の声ではないかと思うのです。自分の声をちゃんと素直に話ができることや、自分の声をちゃんと謙虚に聴けることができるようになれば物事は丸ごと善いことに変化します。
人は心が正しくなければ、何も聴こえないというのはこういうことからなのでしょう。
日々に精進して、道の中の記憶を刻んでそれを修めていきたいと思います。