変化というのは、常に前に時間と共に進むものだからこそ環境にあわせて自分の方が変わっていかなければなりません。
そして変化というものは大変なことであるのは、自分が変わるか、変えさせられるかしかないからです。
例えば、環境でいえば自然現象で次第に水が枯れていく場所があるとします。そうしたとき、水が枯れてくるのにあわせて自分を変えるか、他の場所に移っていくか、それともそこで朽ち果てるか、それは変化の兆しを見ていればすぐにわかるものです。
なので生きものたちは、いくら今まで自分がそれで生きてきたとしても自らが変化を選び進化していくことで変化を受け容れて学び生長していくものです。進化というものの本質は、前に進むということで時間が経ち環境が変わるのだから進むのを自分でするということです。
もしも自分でしないのなら環境から進められるのだから、無理にでもしないといけなくなります。生き物は急な変化に対応することはとても難しいからこそ、自然はあえてゆっくりと時間をかけて変化していく思いやりがあるのです。
しかし急を要する時代に生まれたり、そのような環境下にいれば変化は常に身近にあるものです。その変化に対して、変化を自らがすることを怠ればあっという間に変化がやってきて変化を迫られてしまいます。そうして迫られれば、変化に呑まれて否応なく変化に流されてしまう側になってしまうかもしれません。
だからこそ人は学ぶ必要があるように思います。
自然は学ぶものだけを遺し、学ばないものを淘汰させるように思います。
常に学び続けて自分を変化成長させていくのは、生き残るための智慧であるように思います。そしてそれは結果だけを追い、解決することだけを求めて焦り急ぎ欲を出すのではなく、じっくりと変化に学んでいくことのように思うのです。
変化とは、人が学ぶためにあるものです。
だからこそ、変化している最中にこそ真の学びがあり変化そのものが尊いと感じるのでしょう。
今の時代は、何も変えようとしない人たちが自然に進化する時代の邪魔をしようとします。そうやっていくら自分が進化を邪魔しようとしても、進化というものは決して人知がやるものではないのだからこの変化の循環は誰にも止められません。
だからこそ、自分が変化そのものになりながら学ぶことが自然や道理に叶っているように思います。安易に上辺だけの解決に手を出して満足したり、単に間違いを否定したりするのではなく、寛容と謙虚に、変化を学び道をどっしりと歩んでいくことを大事にしたいと思います。