自分の決めたことを信じぬこうと取り組んでいけば、楽しく幸せなことだけではなく、悲しいことも苦しいこともあり、時として愚痴をこぼすようなこともあるのがそのものの人生だと思います。
そういう時は、歌を詠ったり、自然を愛でたり、子どもに癒されたりしながらも人はその時々に大切なものに気づき、大事なことを思い出しまた勇気と元気を取り戻していくように思います。
それら一つ一つのことを消化吸収し、身体を通して世の中で生きていくのが自分というものです。そうして不思議と毎回感じる事ですが、通過するときはいつもそのものを丸ごとを認めているときにできるように思います。そしてそれが信じるということではないかと、いつも大事なときにこそ心が気づくのです。
つまり大きな出来事というものが信じる気持ちを思い出させ、それを丸ごと受け容れるときに信じる気持ちはしなやかで嫋やかになっていくのです。
頭でいくら分かっていたとしても、気づいてみると日々の中で色々なことをつい一人で全部背負っていくものです。そうして一人で背負っていく中で繫がりが薄れ、絆が弱くなっていく中で信を忘れないようにとその人の周りに出来事が起きてくるように思うのです。そしてそれが道理であることを証明しているのです。
この信じるということは、全てを丸ごと受け容れることからはじまるように思います。
人生は一つの叙事詩であるという意味を実感します。
素で受け容れるには、私の体験では歌を詠うときにはじめてできるようにも思います。詩のように矛盾の中にある全ての今を心で詠んで、その道草を楽しみながら自らの人生を謳歌していくのをじっくりと味わいたいと思います。