ゼロから考えるということを深めてみました。
どうしても人は過去の自分の限界や、今までの経験から古い知識の中で物事を考えようとします。今までやったことでしか考えなくなるのは、挑戦するのではなく無難で居る方を選択していくのです。
そして不安になるというものも、過去の出来事にアクセスしては自分が勝手にそれをフラッシュバックし不安になっているのです。例えば、成功事例や失敗事例などもそうですが成功している記憶にアクセスしては成功を続ける人と、いつも過去の失敗事例に囚われては余計な不安を増大させ気が付くといつまでも同じようなことにしてしまい、それを何度も繰り返してしてしまう場合があります。現象が異なっていても、主観では同じことになっているのだから同じことの繰り返しとなってしまうのです。
ゼロでいるとは囚われないということであり、事物にこだわらないということ、つまりは私心や私欲を取り除き、捨て去って常に融通無碍に素直でいれば白紙の状態で物事を想像し自由に取り組んでいくことができるようになるということです。
松下幸之助さんに、「今までやってきたこと、それを一ぺん白紙に戻す。その知識にとらわれず、一からやり直す。すると、その捨てたものも有意義に働き始める。」という言葉があります。
囚われを捨てていく、過去のしがらみを乗り越えていく、自分を縛り付ける重荷を取り除いていくこそが、ゼロになることかもしれません。このゼロとは、私欲のないところで物事を考えるということではないかと思うのです。
そしてそれは夢も同じく、今の自分で描く夢ではなくまったくのゼロから何の夢を描くかというものができてはじめて新たな目標というものが芽生えていくのかもしれません。師の人柄でも実感しますが囚われが少ない人の方が、素直でいられるのはそれだけ私欲に縛られていないということでしょう。
知らないうちにこの我欲は自分というものを縛りつづけます。特に評価を求めてはできる人になろうとすればするほどに重荷になります。逆にできた人と言われるような徳を目指していればいつも裸になって気楽になれるのです。
それを解き放つために、常にゼロベースで取り組んでいくことだろうと思います。結局は過去に負けて過去に縛られて同じことの繰り返しをするのではなく、真っ新な白紙のところからはじめていく面白さと楽しさを優先していくことがいいのでしょう。
以前、私にとても大きな影響を与えて下さった方の座右を急に思い出しました。
「無一物中無尽蔵」
謙虚に、素直に、裸になって新たなスタート、ゼロに挑戦します。