文天祥の生き方から、学び直すことがたくさんあります。
元々、南宋の宰相でしたが元に滅ぼされる間、数々のものを捨て去って大義のために尽くしていた人です。最期は、その命も捨てて義に生き、そして仁を為します。
仁とか義とかというものは、机上で理解するものではなくその身を捨ててこそという境地ではないかと思います。
公治長第五の中に「子張問曰、令尹子文、三仕爲令尹、無喜色、三已之、無慍色、舊令尹之政、必以告新令尹、何如也、子曰、忠矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉得仁、崔子弑齊君、 陳文子有馬十乘、棄而違之、至於他邦、則曰、猶吾大夫崔子也、違之、至一邦、則叉曰、猶吾大夫崔子也、違之、何如、子曰、清矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉 得仁。 」がありました。
ここでは、二人の人物が挙がってこれらは仁ですかと子張が孔子に問います。しかし一人は忠実な人で、もう一人は潔白な人だといいます。
単に言葉で理解できるものではないのがこの仁という概念です。
いくら思いやりを持てといってもそうはもてるものではなく、いくら真心でといってもそれは真心が分かるはずもありません。他人にはそういうものは伝えるものでも頭で理解するものでもないからです。
ただそうしたいからそうするだけの理由で、自らの身も名も捨てていくというのが本来の仁というものかもしれません。自分が大変なときに、他人のことも大変だと思えていること、そして自分のことよりも偉大なもののために自分を使うことができること、そういうものの中に真心を感じます。
文天祥は、自分の覚悟を生きた人のように思います。
吉田松陰にも同じ心を感じることがあります。
何を求めているのか、何を理想とするのか、何のために生きるのか。
そこに志とは何か、至誠とは何か、真心とは何かを感じます。
その文天祥の辞世の句には、留魂録と同じ光を感じます。
「孔曰成仁(孔(孔子)は仁を成せといい)
孟曰取義(孟(孟子)は義を取れという)
惟其義尽(惟(た)だ其の義を尽くさば)
所以仁至(仁に至る所以(ゆえん)なり)
所学何事(学ぶ所は何事ぞ)
而今而後(而今而後(じこんじご))
庶幾無愧(庶幾(こいねがわ)くは愧(はじ)無からん)」
義を尽くせば仁になる。
常に自らの覚悟に愧じないでいることが学ぶこと。
魂を揺さぶられる詩に、見守り励まされより深く前へ進もうと思います。