覚悟というものを認識するのに逃げないというのがある。
逃げないというのは何を持って逃げないと定義するかと言えば、来たものに私心を入れずに真っ直ぐに向き合うことをいうように思います。
これを正対するといいますが、それではその反対は非正対というのではなく斜に構えるとか逃げるという言い方をするように思います。
本来、人は素直かどうかなど自分のことは実はよくわかっていないものです。それは、自分が自分を分かっているようで自分のことが一番よく分かっておらず、無意識に自分を正当化しては自分と向き合わないように都合よく調整していることが多いからです。それは私心や欲がメガネを曇らせているからのように思います、自分を直視するということは私欲にとって都合が悪いことが多いので避けて通っていたいからです。
例えば、全ての問題や事物はすべて自分の内面の問題から発生するのに対してそれを何かのせいにしたり言い訳をするときなどもこれは自分が向き合いたくないからそうしているのです。特に影響力のある人は、自分を知るということから逃げていては人はそれを一緒に学ぼうとしなくなっていきます。だからこそ、人はみんな自分という生き方としてどのような心構えをもって心掛けを大切に行うかで、他人から尊敬されたり認められたりして互いの信頼を紡いでいくように思います。
そう考えてみると、この心の構え方というものが生き方のことをいうのかもしれません。
心構えとは覚悟のことで、自分が決めたことから逃げないということに他なりません。何を決めたか、何を信じていくていくか、人はそれをもって自分らしいというのかもしれません。だからこそ人はその都度、覚悟を自問し、それを周囲に確認し、自らが正しくいようと向き合うことで自分らしい生き方を貫いていけるように思います。
それを自分の都合で決めたことを誤魔化し、事があれば逃げて、そして自分を正当化していけば素直に反省することなどはできずそれによってまた同じ過ちを何度も繰り返してしまうように思います。
間違いは間違いとして、信頼できる人に正してもらおうとする姿勢そのものが素直な姿でありそういうものが逃げない覚悟ではないかと思います。そしてこれは紙面や机上で学ぶものではなく、実体験を通じてその時、自らの道に照らしてどのように判断したかということが自分を生きたということになるのでしょう。
万物は相矛盾し、渾沌としているのだから永遠のテーマばかりでこの世は存在します。
それは友情であったり、愛情であったり、そして信頼でもそうです。
そもそもつながりの中で異なるなどという人間の複雑奇妙さのことなど分かるはずもありません。だからこそ一日一日と、日々に発生する出来事に真心で正対していくことがもっとも価値のあるものかもしれません。
このブログもそうですし、世の中には終わりがあっても永遠のテーマがあることばかりです。
精進していこうと思います。