子どもの仕事をしていると、様々なことに向き合うことが多くなります。
訪れてきた出来事にひとつひとつ向き合い自分の脚で歩んでいく中で、自分で決めて歩んだのだからといっても時折、理不尽な出来事に遭遇し運命に悲嘆にくれることもたくさんあります。しかし、同時にご縁の有難さを実感し心から尊敬し感謝していく歓びに出会うこともたくさんあります。
実際の人生道場の現場では、様々な課題があり理想や理念があるからこそ大変な悩みを一人抱えて苦しんでいる人たちにもたくさん出会います。そんな時は、自分が何かこの方の御役に立てないだろうか、この人の苦しみにもっと寄り添うことができないだろうかと思います。
そうしてみてみると、どこの場面でもどこの時にも、心が素直であるかどうかは試されてきます。人は無意識に私心や私欲が入れば、急激に視野が狭まり本来の出来事の実相が観えなくなってしまいます。そうしているうちに出せるものも出せなくなってとても苦しみが深くなります。そうしていることで不幸なことが起きているのではないかと不安になってしまいます。
しかし、素直さというものはそういう時こそ自分に矢印を向けていくことで正しく向き合うことができ、深い味わいを噛み締めその起きた出来事の真の深さの気づきを得るように思うのです。
松下幸之助にこういう素直な言葉があります。
「よく考えてみると、幸、不幸の両面があるということが、結局は幸福なのもしれません。不幸な姿を一瞬でも味わうことによって、初めて幸福 のありがたさを知ることができるからです。」
人はずっと幸せでいることが果たして幸せなのでしょうか、そしてずっと不幸であることが不幸なのでしょうか。素直になって向き合ってみると、そういうものを噛み締めて味わっていくことではじめてその福の有難さに気づけるのかもしれません。全てのことをいつも感謝に換えていく、いつも御蔭様に換えていく、いつも有難うと手を合わせていく、そういうことで居られ続け、実践できる福のままでいることが本当の素直というものかもしれません。
自分の人生を歩んでいく中でその時々にありのままを受け容れ、素直に向き合い、生き方を見つめ、その一つ一つを尊い体験をさせていただいたと感謝していくことが真っ直ぐに生きたということかもしれません。
子どもたちにどのような姿を見せていくのか、先を往く私たちは考えていきたいと思います。