責任感というものを考えてみます。
責任とは、本人の責任感のことで自分がやりたいことをやると決めたかどうかということです。責任感を持つことができれば、常に心配は付き纏いますがそこから人は責任に相応しい実力を得ていくように思います。
ドラッガーの著書「仕事の哲学」にはこうあります。
「成功の鍵は責任である。自らに責任をもたせることである。あらゆることがそこから始まる。大事なものは、地位ではなく責任である。責任ある存在になるということは、真剣に仕事に取り組むということであり、仕事にふさわしく成長する必要を認識するということである。」
真剣に仕事をするということや、ふさわしく成長する必要の認識というのはすべてにおいて自分がそれをやろうと決めているかどうかによります。言われたことをただやっていて上手にこなしていくのが仕事であれば、それは真剣に仕事に向き合ったのではなく責任は誰かに任せて自分は表面上のお手伝いをしたことにすぎずこれはとても楽なものです。
しかし実際に真剣に自分が責任を任されたと自覚し、使命を果たそうと思うのならばそこには必ず重責がかかります。しかし、その重責を抱えながらも最期まで遣り遂げることができたとき、人は真剣になりそして相応しい成長を得るように思うのです。
昨日、子どもの発達のことで話をしましたが子どもの成長に真剣に責任を持てば楽よりも楽しいを選ぶようになる、そして苦しくても楽しいと思えるようになるということを伝えましたがこれも同じようなことです。
本来は自分が責任を持つから、全ての出来事に真剣になってきます。結局は、この責任感そのものが生き方を決め、働き方を決め、内容も結果も決めていくように思います。
責任感が強い人ほど、本気さや真剣さに周囲も圧倒されていくものです。その凄みとは、その責任を担う覚悟、責任というものの本質の価値を獲得している心構えにあるように思います。
任されている仕事とは何なのか?
そして任す仕事とは何なのか?
人は任されたか任されていないと思ったか、互いの自覚において責めを負うように思います。もう一度、さまざまなことを見直し自覚していくことから責任感を学び直していこうと思います。