人が変わるということは、甘えを断ち切り非凡になるということかもしれません。
人として当たり前のことを当たり前に行うというのは、この当たり前を何に定義していくかによるのです。例えば、生き方というものや働き方というものは業務云々に出てくるものではなくその大前提としてどう生きているか、どう働いているかというものがあります。
生きている方をいえば、感謝で生きる人、いつも譲る方を選んで自分を利他のために発揮させていく生き方。また働き方でいえば、御役に立とうと御蔭様で働く人、いつも与える方を選んで自分を世間様へ役立てていく働き方。
そういうものが当たり前のことであろうと思うのです。
何をもって凡事というかというのは、この凡事とは当たり前のことであり総じて非常に尊い行為のことをいうように思います。人は何かをする前にその動機が何かを常に問われるように思います。その動機次第で、結果が良くも悪くもなるように思えるからです。プロセスを大事にしていく生き方や働き方というものもその当たり前のことをどれだけ徹底したかということによるように思います。
全ての問題は自分にある、100パーセント自分のせいと思う生き方の中にこそ昨日と同じく真理の門は開くように思えます。矢印が自分というのは、完全に自分に向いているときしか分かった気にならないということでしょう。
人が生きるのも働らくのも、そして幸せになるというのもこれらの凡事の中にあるのです。
「年輪経営」(光文社)で有名な、塚越寛氏の著書でモチベーションのことが書かれていてとても共感しました。そこにはこう書かれています。
「彼らが望んでいるのは、穏やかな人間関係の中で、自由にのびのびと仕事ができる職場です。これは甘えを許すこととは違います。自分で自分を律しながら、常に向上心を持ち、新たな目標に挑戦していかなければ、会社にとって必要な人材とは認められません。管理されるよりも、もっと難しいことなのです。よほど高いモチベーションを持たない限り、実行できないでしょう。私は、社員のモチベーションを上げるのは、お金や地位ではなくて、「働いて、去年より良くなった、去年より幸せだ」と感じられることだと思います。去年より今年、今年より来年の方が、幸せ感が増してくるような会社。そんな会社にいれば、自然とモチベーションは上がってきます。だから経営者は、今年は去年より少しでもいいから、社員が幸せを多く感じられるようにすることが大切です。」
今の世間では、モチベーションは何か勘違いされていて生き方も働き方もそこには問われず、目先の損得や、ちょっと先の自分にとっての利害かどうかだけのモノサシで動いていることが多いように思います。
本来、人が人生に意欲をもって生きるというのは自らが高い目標を引き受け、世の中の御役に立とうと真摯に取り組む中で出てくるもののように思います。それは使命感ともいい、それが向上心ともいうものです。
経営者自身の姿勢が、働く人たちに感化していくように思います。そして組織改革も、まず根本から見直さなければ改革したとは言えないように思います。まずは何の当たり前から取り組むのか、遠い先の光を追いかけながらその脚下の偉大な凡事を見つめてできるところから自然に取り組んでいこうと思います。
かんながらの道の実践に心から感謝いたします。