子どもと共に遊んでいると子どもになっていきます。
子どもはどんなことにも興味を持ち、私たち大人が当たり前と思っていることにも大きな驚きと感動を示します。そして地球の中で自分たちが夢見る現在に生きています。子どもたちがあんなに楽しそうにしているのは、そこに自分の生きる現在を持つからです。
大人になれば、先々のことを心配したり、過去を悔いたり、心配事はいつもこの現在の中にはありません。そうしているうちに、この現在の中にある一瞬の驚きや感動に生きることを忘れてしまうのです。
昨日、死生観についてのブログを書きましたが生きるというものはそもそも現在そのものでいることであり、死もまた現在そのものでいることであろうと私は定義するのです。
一生懸命に現在を生きるというのは、子どもになるということでしょう。
私の子どもは、この現在の中に棲んでいます。
私は子ども第一主義というものの本質には、この子ども心を失わないでいるということであると思っているのです。子どもの中にある、すべての感動や感性を失わないままで私たち大人たちが現在に生きればこの世は一体どうなっていくのかを死ぬまで見届けたいのです。
子どもに学んでいくことは、忘れてしまうような当たり前のことに気づき直していくことです。
生涯かけて、子どもになることを学び続けていこうと想います。
これが私の自然観であり、子どもの姿です。