大人になるというのは、自分の思い込みの中でいようとするということかもしれません。
子どもの頃に当たり前だったことが分からなくなってきて、頭の中で憶えたことでうまく世の中を渡っていけるようになるものです。しかしそもそもを考えてみれば、未熟さというものは一生涯変わらないものでその未熟な人間が他人を育てたり他人に教えたりしているのです。
例えば、先生と言われる人たちも親と言われる人たちもまた仕事でプロと言われる人たちですら未熟さを持ったままで生きているように思います。
だからこそ時間をかけて成熟していく中で、様々な出来事が起きてそのことから深く学び生長を続けていくのです。もしも未熟ではなかったならと時折、悔いそうなときもありますがそれは本来は違うのです。
未熟者同士だからこそ、御互いの苦しみや歓び、幸不幸をシェアしていくことができるのです。
人はそうやって魂をいつまでも研鑽し、高め合う中でご縁を結び、そしてより澄んだ共感を得て共生の美しさに気づいていくように思います。かつては、逆の立場であったものたちが、今回はまた異なる立ち位置で学び合う、自他一体の境地で相手を思いやれば相手こそが自分で自分が相手であるのです。
だからこそ未熟は未熟なりに、正対し真正面から取り組んでいくことが誠意であろうと思います。お互い様というのは、真にお互いを共感するときにこそ感じられる境地かもしれません。それはまるで円環しているように〇く廻りつづけるものかもしれません。
学び合える人がいることがご縁の神妙さかもしれません。
今の風に吹かれて、回り逢う友に愛と感謝を手向けたいと思います。